2012年4月16日月曜日

丹澤先生との講演会

4月15日(日)
 丹澤先生と講演会でした。場所は、成城学園前の砧区民会館。数年前に新築成ったきれいな会館でした。主催は、東洋鍼灸専門学校の学生さん。多数の参加者がありました。
 丹澤先生は、いま求められている鍼灸師像について、品性、品格、思いやり、という話をしました。 僕は、『論語』から話題をとって、原点を見つめ直す、というような話をしました。
 今、専門学校で国家試験が最大の目標になって、学生が矮小化されつつある現状をかんがみ、もっと広く、もっと深く、学べ、体験せよ、というエールを二人で送りました。今年の国家試験の合格率が低かったことの反動として、国家試験予備校化のながれは、勢いを増すと考えられます。勢いを増せば増すほど、東洋医学がどんどん歪んで行きそうな気配です。
 僕の話の要約。 『論語』に、「質勝文則野、文勝質則史、文質彬彬、然後君子」とあり、質(本質・中身)が文(外面の飾り)にかてば野(むき出し)であり、外面の飾りが本質に勝てば史(虚飾・飾りすぎ)である。文と質が半々であるのが望ましい、というような意味です。
  史=文が勝っている=文明化が過ぎている=頭脳が過ぎた、人工が過ぎている
  野=質が勝っている=本質、人工の反対の自然が優位になったこと=野生むき出し
 孔子は、表向き、頭が良くて、人徳が優れている人を育成するのを理想としていたが、正味のところは、半分くらい野生人が望ましいと思っていた、ということです。表向き、文化系で菜食系の男子を望んでいたと思われているけど、体育会系、肉食系の要素も懇望していたらしい。
 国家試験予備校というのは、単に片方の人間を育成しているだけですから、どうか、野に出て、大地を踏みしめて、雨に当たり、風に吹かれ、その延長で患者さんに対峙してほしい。教科書と黒板だけみつめていれば、免許はとれるでしょう。教室から出でて、教科書を置いて、マニュアルを捨てて、自然を観よ。人は自然の中の一生物であるから、自然を見つめることが根本である。鍼灸師は、植木職人たれ、農家たれ、漁師たれ。
 (というような内容です。不足するところは、どなたか書き加えてください。)

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