2015年7月13日月曜日

オリエント研修その3

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 第二の「相い忘れ」は、医者の技術でもある。ただ、撫でていればいいわけではない。

 診察なのだから、圧痛なり、硬結なり、冷えなり、火照りなり、陥下なりを、淡々とみつけること。それが、自然にできることが、治療者側の「忘れ」である。腹診を意識しないで、こころ静かに、虚無の状態で腹診することが「忘れ」である。

 病人にとっては、完全にお任せして、心地よい状態で異常所見を見つけてもらえるならば、診察されていることを「忘れ」ている。完全にお任せして、自分を「忘れ」ているのである。

 「医者の手指と、病人の皮膚と相い忘れ」というのは、単に物理的なことだけいうのではなく、お互いのこころが「忘れ」た状態の診察も、「相い忘れ」に相当する。

 つまり、腹診とは、病人からいえば、柔らかく温かい手指で、ほどよい力で、こころ静かに、適切に所見を探し出してくれることである。
 
 医者の、◎◎流、◎◎方式などという腹診は、それは医者側の満足であり、病人に寄りそったものではない。

 ということを考えると、腹診は、まず病人の立場から出発しなければならない。その基礎の上で、医者の立場の腹診を提唱していかねばならない、と考える。よって、◎◎流、◎◎方式を学ぶより以前に、柔らかで温かな手を造る工夫こそが、腹診の第一歩だと考える。


 



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