2015年3月2日月曜日

新内小唄(丹澤先生)

 昨日(3月1日)は、丹澤章八先生の、新内小唄の発表会に行きました。80代からの挑戦のようです。

 丹澤先生のみどころは、興味津津力と、その行動力である。興味がわいてきたときは、年齢とか、体調とかを忘れて、猪突猛進してしまうのだ。その壁の無さを、学んでいる。

 学問の方向性とか、生き方とか、おそらく違う道の先生なのだろうけど、その壁の無さを、ありがたく学ばせてもらっている。それだけでも余り有る。

 
 医師であり、成城学園在住であり、見た目、品性、知性、その個性と、面する者は劣等感が生まれ、尻込みし、距離を置くようになる。しかし、学ぶということにおいて、医師であることも、成城学園在住であることも、見た目も、なにも関係ない。そのなにも関係ないところを気にするので、みなさんは丹澤先生は近寄りがたいと言う。けど、「壁の無さ」を学ぶに、これほど良い先生はいないでしょう。

 「鈴木大拙全集」を持っている。これだけでも、なみなみならぬ人物であることは了知すべきである。不学のゆえに、有学者と一線を画するのではなく、有学者と和して、その薫風に浴するのも、ひとつのしあわせなのであります。

 丹澤先生をみていると、育ちの違いを感じます。それは、丹澤先生が造りだしているのではなく、自然に出てくるものでしょう。つまり、作為ではない、自然のオーラなんですが、人によっては、近づきがたいかも知れません。成金のオーラも近づき難いのですが、それは人為的な、不自然なオーラです。自然のオーラに対しては、こちら側が不自然にならなければ、つまりこちら側が作為をもたなければいいのです。こういうことを、「自然法爾」というのであろう。「鈴木大拙全集」にも書いてあったそ。
 

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