2014年10月6日月曜日

鍼法の真髄

 9月28日の丹塾古典部は、『内経』の刺法、補写法についての条文を、関連づけながら読みました。これらの条文は、個人的には何度も読み、その都度、わかったつもりでした。

 今回読み直してみたら、やっぱりわかったつもりで、わかっていませんでした。一つの漢字、一つの語句、一つの文章の読み方が浅すぎました。『論語』を読むように、何度も繰り返し読まないと、真髄までは到達しないと痛感しました。さらに、ちょっと読んだだけでわかったつもりになるのは、『内経』に失礼じゃないかと思うようになりました。
 

 それでも、今回は、なんとなく鍼法の核心部分に近づいたような気がします。山頂が見えてきたというか。とはいっても、それが山頂なのかは、心もとない。

 『論語』は、教養のためにと読み始めたのだけれど、繰り返し読んでいる内に、古典の読み方の基本を学んだような気がする。わからないけど、繰り返し読んでいると、いつのまにか真髄に到達できるような感じがする。『内経』は分量が多いので繰り返し読むというわけにはいかないけど、大事なところは繰り返し読みたい。

 本の読み方にいろいろあるけれど、『内経』は精読するしかない。一回読んだだけで理解できる、そんなチープな古典ではなさそうです(他の古典もそうなのでしょうが)。 
 

 『論語』は医書じゃないから、読む必要はないのかも知れないが、古典の読み方を学ぶためには格好の教材。孔子の生の言葉、行動が記録されていて、脚色が無いのが何よりいい。お釈迦さまの説法を金口直説(こんくじきせつ)というらしいが、まさに『論語』はそれである。『内経』もそれなのである。今までは、肩肘張って、読み解くというような気持ちで、読んでいましたが、そうではなくて・・・・

「説法者と、漢字を挟んで、会話する」、9月28日は、そんな気持ちになれました。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿