2012年10月15日月曜日

機心(その2)

 鈴木大拙の『東洋的な見方』(岩波文庫)の3度目の挑戦。1度目は、意味がわからず、撃沈。2度目は数年前に、おもしろみがわかり、ようやく読破。今回は、本箱を整理したら出てきたので、挑戦というところ。
 機心について、「機心ということ」のほかに、「創造の自由-荘子の一説」に、2回も取り上げている。前回読んだ時には、あまり印象的ではなかった機心が、今回は、キラキラして見えた。
 機心を訳して「はからいのある心」といい、利害得失に夢中にならしむる、という。なんと、的を射た解説だろう。金谷治(岩波文庫訳注)は、「からくり心」と訳したけど、ちょっとわかりにくい。
 臨床のとき、古典を読むときは、せめて機心を無くしたいところ。『論語』為政篇にいうところの「思無邪」(思いよこしま無し)、吉川幸次郎は、「感情の純粋さ」と訳した、このことばと一脈通じているような気がする。
 古典は、ちょっとした文章に味わいの深さがあって、そこに到達するところが楽しみなのかもしれない。

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