2012年6月11日月曜日

断章取義

断章取義:作者の本意、詩文全体の意味の如何にかかわらず、其の中から自分の用をなす章句のみを抜き出して用いること。(大漢和辞典)

 毎月第2日曜日は、午後から日本内経医学会の講座があるが、昨年から午前にも『内経』を粗読(あらどく)する講座がおかれている。原文の細かいところは保留し、大意をつかむための流し読みであるが、なかなかに有効な方法です。参加自由なので、興味がある方は参加して下さい。場所は、鶯谷書院です。原則として、10時から12時です。
 昨日、始めて参加しました。『素問』調経論篇でしたが、この篇は個人的に何度も読んでいるのですが、昨日は啓発されました。読むときの問題意識次第で、読み取る内容が変わるので、読む度に、ああそうか、そうだったのかと、きらりとします。古典なんぞ古くて難解、と思っている人には悪いけど、こんなにおもしろい本は、無いです。
 みなさんが知っているのは、与えられた、教科書的な知識で、もちろん基礎的知識として必要ですが、古典にはこの医学を造ったときのたくさんの裏話が残っているのです。
 たとえば、虚実に関しては、『素問』通評虚実論篇の「邪氣盛則實.精氣奪則虚」を典拠に、邪気が盛んなのが実で、精気(正気)が奪われているのが虚であるといい、これで虚実のすべてだと思っている人がいるようですが、これが断章取義の典型です。今ある知識を証明するてがかりとして、古典を取り出しただけで、『素問』全体、『内経』全体の意味を無視しています。
 なぜなら、『素問』調経論篇には、五蔵の虚実、血気の虚実(多いところが実、少ないところが虚)、外邪の虚実(風雨の邪が入れば実、寒湿の邪が入れば虚)、少なくとも3分類を提示しています。邪気が盛んなれば実、という定義は、簡単にくずれるわけです。また精気には触れられていませんから、精気うばわるれば虚という定義も、容易に崩壊します。
 おそらく、さまざまな虚実の定義があったのもが、ある時点で整理され、教科書的な定義がうち出されたものと思われます。
 古典を読むばあい、全体を読むことと、個別に読むこととを併走させるのは、理想かもしれません。粗読講座の意味を再確認したしだいであります。


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