2015年8月10日月曜日

教員セミナー

 8月8日・9日、北里研究所東洋医学研究所主催の「教員のためのセミナー」が無事おわりました。今年は第10回。全回で講師をやりました。今回は、「内経聖人考」を発表しました。昨年の内経医学会の正月の発表を再考したものです。

 正月の発表では、『内経』に36見する聖人を、①治療家、②過去の偉大な政治家、③優れた養生家、と分類しました。

 その後、『呂氏春秋』を読んでみると、その道家に属する6篇にも聖人が10見していました。

 その聖人は、優れた養生家であり、その余技として政治家になる人でした。政治家を目指して政治家になるのではなく、まず優れた養生家になって、そのうえで政治家になるべきだと言っています。

 この流れからすると、『内経』の聖人は、優れた養生家であるが、実は治療家でもあるのです。治療家が目指すのは、治療家ではなくて、優れた養生家である、というところに奥深さがあります。それを一言でいえば「聖人」なのです。

 したがって、昨年の正月での分類は、①治療家、②過去の偉大な政治家、③優れた養生家、でしたが、改めまして、①優れた養生家(兼治療家)、②過去の偉大な政治家、ということになります。

 ①の聖人は、到達可能な人物で、修行に取り組むための理想像です。
 ②の聖人は、過去の優れた政治家で、完成された理想的人物で、到達は不可能です。

 聖人といえば、みな、到達不可能の空想の人物として、自分とは無関係の人と思われ、修行を放擲してしまいます。しかし、『内経』の聖人は、毎日の修行によって、到達可能なる人です。ここが大事なところです。毎日の修行とは、たとえば、『針道秘訣集』がいうところの三つの清浄の工夫ですし、沢庵の『不動智神妙録』に書いてあることを、理解実践することなのです。

 かくして、江戸時代の至言と、『黄帝内経』が一本につながったわけです。あな、めでたし。





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