2024年12月28日土曜日

最後の投稿

  読者の詳細は分からないけど、「読んでますよ」と声かけしてくれる人がいます。一方的に投げているつもりなのに、キャッチしてくれる人がいるのかと思うと、すこし照れてしまいます。

 以前、書きましたように、今年限りで、温灸院・薬局を閉じることになりました。ホームページも閉鎖しますので、このブログも、これが最後です。ながい間、ご愛読ありがとうございました。



2024年12月27日金曜日

釜たきご飯

  土鍋で炊いていたご飯は、土鍋の老朽化で、鉄釜で炊くことにしました。

 はじめちょろちょろ、なかぱっぱ、赤子ないてもふた取るな

 といわれるけど、火を止めるタイミングがわからないので、20分すぎにフタをとって、炊き上がりをみています。時間どおりだと焦げるし。

 火力が安定しているガスコンロだからいいものの、薪をくべているなら、火力の調整は難しかろう。安易なものには行きやすいが、煩わしいものに戻るのはたいへん!

 くるまも、ATからマニュアルに戻そうかな~

2024年12月25日水曜日

滝川亀太郎旧居

  滝川亀太郎(1865~1946)は、『史記会注考証』の著者。ぼくが、1990年代に『史記』扁鵲倉公列伝を研究していたときに、とてもお世話になった注釈書です。

 先月、島根の松江城を観光したとき、お堀の北側に武家屋敷があったので見学したら、なんと滝川亀太郎が住んでいたという家でした。偶然なのでおどろきましたが、『史記会注考証』を思い浮かべながら、屋敷を見学しました。

 おもいだせば、『史記』を勉強しているとき、隣町の越谷市の文教大学図書館の町田文庫に『史記』関連の資料が豊富にあったので利用させていただきました。今から30年ほど前ですから、ぼくが40歳前後のときです。2000年を境に(師匠の病没)、扁鵲倉公列伝の研究から手を引きました。

 偶然といえば、柳川市を観光していたとき、大きな地図に「下村湖人旧居」とあったので、勇んでタクシーをとばして行きました。そのころは『論語』を読んでいたので、『論語物語』の著者の名前をみて、その偶然さ驚きました。


2024年12月23日月曜日

子守と体幹

 昭和初期の子守の写真です。大抵は、お姉さんが、妹や弟をおぶっています。おぶったまま、外で遊んでいたようです。

 孫が3人もいて、だっこするつらさを知る身としては、小学生のお姉さんがおんぶしているのも、たいへんなんだろうね、と同情してしまいます。

 したの写真なんかは、自分の背丈の3分の2くらいの妹を負ぶっています。上の写真の左はしのお姉さんは、顔の大きさが同じくらいの弟をおぶっています。

 ふたりの妹、弟は、3~4歳くらい、体重は15キロ前後と思われる。 大人でも大変なのに、小学生のお姉さんがおぶっているのですから、体幹がきたえられますね。

 体幹ばきばきのお姉さんたちが、現在の80歳、90歳のおばさまに成長したのですよ。きっと。

2024年12月18日水曜日

ほうき

 

 掃除機が出回る前は、ほうきで掃除していました。背丈ほどあるほうきは、立ちぼうきといっていましたが、イラストによれば庭ほうきというらしい。その半分の背丈は、なんというかわすれたが、イラストによれば荒神(こうじん)ほうきというらしい。

 ほうきA・B・Cで良いのに、ひとつひとつに名前があるのが、ほほえましい。それが、脈絡ないのが、さらにほほえましい。

 小学校の家庭科では、ぞうきんをぬったの思い出しました。ストッキングを裂いて、はたきを作ったこともありました。

 これらの道具は日用ではなく、ことばに死語というのがあるのにちなめば、死道具というのかも知れません。




 

2024年12月12日木曜日

父親のこと

  今思えば、父親は、変人であり、文化人だったかも。

 まず変人。43歳で、仙台の鍼灸学校に入ったこと。その前は、せんべい屋だったとか。当時の鍼灸は被差別の職業で、五体満足の男性が選ぶ職業ではありませんから、それなりの風当たりがあったでしょう。それも妻の実家に子供4人を3年間預けぱなしでしたから。今だって、なかなかできないことを敢行したのでした。

 免許を取ってから、家族をよびもどし、松島町で鍼灸人生をスタートしました。田舎の古い町ですから、差別の目もあったでしょう。小学生のぼくには、わかりませんでしたが。

 文化人といえば、毛筆が達者であること。年賀状はもちろん、賞状書きの内職もしていたこともありました。また、尺八を吹いていたこと。尺八に至った理由や、どこで買ったのかなどまったく知らないのですが、尺八を吹くという血すじがあったのでしょう。

 その変人、文化人の血すじは、ぼくは受け継がなかったと思う。


2024年12月9日月曜日

近江 永源寺

 北里研究所医史学研究室(のち研究部)の客員研究員になって、はじめての仕事が、月舟寿桂が『史記』に書き込んだ注釈を翻字することでした(扁鵲倉公列伝のみ)。調べていく内に、月舟寿桂は、近江の永源寺における桃源瑞仙の『史記』講義を受けていることがわかり、いつかは永源寺に行きたいと長らく思っていました。7~8年前に行くことができました。

 開山は寂室元光で、中国にわたり中峰明本に学んだ僧侶です。中峰にまなんだ僧侶達が日本で開いた寺院は、いずれも紅葉の名所で有名です。おそらく中国から種を持ち帰って、留学先の雰囲気を再現しようとしたのでしょう。

 永源寺も、紅葉の時期は、観光客が押し寄せるといいます。まさに、今頃でしょう。僕が行ったのは、そんな時期ではないので、ひっそりとしていました。それでも、月舟寿桂と同じ場所にいるとおもって、感慨ひとしおでした。


2024年12月7日土曜日

みやかわ温灸院を閉じる

 本年12月末をもって、漢方薬局と温灸院を閉じることになりました。まだまだできるのに何故? と言われました。スポーツ選手の現役引退と同じように、臨床だけが鍼灸師の人生では無いと思えば、教育や執筆活動にチェンジしても良いかな、と思っています。

 今まで、請われるままに、講座・講演をやってきましたが、その後始末はしていません。せっかく準備した資料が、未整理のまま、PCの中に眠っています。もう一回、練り直して、きちんとしたものとして残したいと思っています。

 また、校正会で入力したデータを再び見なおして、より精度のよいものにしたいと思っています。

 こうしたことは、細切れの時間ではできません。だから未整理のままだったのです。未整理だったので、なんとかしたいとモヤモヤしていました。ようやく、着手できると思うと、来年以降が楽しみなのです。


新年発表会

  毎年、1月には、新年発表会があります。北里の医史研と内経医学会の共催で、北里大学の会場とオンラインのハイブリッド開催です。

 この発表会は、20数年皆勤で発表してきましたが、次回は発表しません。発表するとなると、年末年始はその準備に追われてしまいます。「追われない幸せ」を久しぶりに味わいたいとおもいます。

 下記のような内容です。参加無料ですので、興味ある方は、アクセスしてみてください。

「第9回鍼灸医学史研究発表会ー出土資料再考ー」

事務局
加畑 聡子「馬王堆漢墓考古発掘50周年国際学術研討会参加報告」
猪飼祥夫「『天回醫簡』読んで思うこと」(オンライン)
郭秀梅「長屋王家木簡の「麦縄」と東大寺写経所の「索餅」について」
左合昌美「出土医学文書の是動病と所産病」
林孝信「相脈之道と三部九候論(仮)」
米谷和輝「『天回医簡』のオノマトペ-内経オノマトペ研究第二報」
真柳誠「初期から打膿灸がメインだった」

2024年11月24日日曜日

クイーンズ駅伝

 今日おこなわれたクイーンズ駅伝は、故郷の松島がスタートして、国道45号線を仙台方面に走っています。観光かき入れ時の日曜日に、車両を止めて、駅伝が行われたんですねえ。

 美保神社へのバスもそうでしたが、「かき入れ時」というのは、もはや死語なのかもしれません。

 自分の目でみる風景と、テレビの画像でみる風景は、違うものですが、おおむねテレビの画像の方が良くて、美しくみえ、華やかにみえます。何割か増しに見えているようです。

 そうすると、テレビの中の人物も、何割か増しに見えているんですね。映像、おそろしや。

 

日曜日

 日曜日の夕方は、娘家族がきます。孫は小さいから、テレビはまだ見せない方針なので、テレビにはカバーしています。11月24日(日)は、娘家族は婿さんの実家に行ったので、静かな夕方となり、大相撲中継をみることができました。いつもは、スマホで「今日の結果の動画」を見ています。

 仕切りがあったり、観客の声援があったり、解説があったり、懸賞金は何本か、など取り組み以外にも、みどころいっぱい。やはり、テレビの中継はいいものです。

 というわけで、幸せなひとときでした。

 会場に行けば、館内のざわめき、取り組み前の回しを叩く音、ぶつかるときのゴン、張り手のビタビタなど、さまざまな音声があって、テレビとはひと味もちがう(といわれています)。こちらも、一段と幸せなのでしょう。

 



2024年11月21日木曜日

一畑バス

 島根県の美保神社に行くには、一畑バスを利用する。

 時刻表によれば、1日20便あるが、土日祝は、朝・夕・夜の時間帯の9便は運休だという。

 昔なら、土日祝は、観光で稼ぎ時なのですが、働き方改革がこんな所にも及んでいるのか、運転手が足りないのか。

 バス輸送が手薄になれば、送り込まれる観光客が少なり、観光地はいよいよ苦しくなる。

 外国人は来ていなかったから、外国人をターゲットにするのがよいのかも・・・


美保神社

 広島大学の講義の帰りに、島根県に立ち寄り、美保神社を詣でました。西の出雲大社、東の美保神社といわれる名社です。

 松江駅から、バスを乗り継いで、約1時間半(往復3時間)。現地滞在約1時間。合計で4時間のお参りでした。

 ネットで検索すれば、画像も、説明文もあるが、実際に行くのとは、雲泥の差がある。

 まず山から下りてくる空気の流れは迫力あり。

 青の敷石が珍しい(福井の三国からもってきたらしい)。

 拝殿は柱だけで壁がない。

 社殿の屋根は流麗、複雑。

 他の神社とは、なにもかにも違う。とても遠いところに破格の神社あり。

 下世話な話だが、奉納一覧によれば、横綱格で「金一封」、大関格で3000万円。これまた桁違い。

 

2024年11月15日金曜日

鍼の販売を止める

 今日、鍼の業者さんから手紙が来て、鍼の販売を止めるとのこと。灸頭鍼用のディスポ鍼が入手できなくなるのです。次の2案を考えています。

 1:他の業者を探す

 2:消毒して使う

 結果として、2:の方針で行くことにし、繰り返し使えるような良い鍼を、別の業者に注文することにしました。

 開業したころと同じになるので、特別な違和感はないのです。

 もぐさといい、鍼といい、いつまでも安定的に供給されるわけではない。身を以て知りました。


2024年11月1日金曜日

海苔

  母方の実家は、海苔と牡蠣の養殖漁業家。なので、はねだしの海苔が、我が家にたくさん届きます。まっくろで、厚みのある、いいやつ。食べ放題でした。

 昔は、海苔は焼くものでしたが、いまは焼き海苔として売っているので、焼かなくても良いのです。頑固なお寿司やさんは、いまでも海苔を焼いているようです。一枚ならまだしも、何枚も焼いたら、手が真っ赤になるでしょう。魚は冷たい、海苔は熱い。

 ぼくが幼児のころは、天日干しでしたが(お遊びながら手伝ったことがあります)、その後ボイラーで乾燥するようになり、大量生産の時代にはいりました。

 しかし、高齢化もあり、津波もあり、実家も、集落全体も、海苔養殖を止めました。まあ、住人もいないし。60年間くらいで、天と地を見た思いです。

2024年10月31日木曜日

人生の本番

 伝統鍼灸学会に行ったら、60代の知り合いが、心臓が悪い、腎臓が悪い、というような話を聞きました。じわじわ忍び寄る病気、そして老い。

 「青春の蹉跌」という小説があったが、「老人のつまずき」という小説もあってもよいかも。用心に用心を重ねても、転ぶときは転ぶ、つまずくときはつまずく、ようである。

 最終コーナー、毎日、無事に過ごせれば、おんの字。これからが、人生の本番なのでしょう。

カゲがない

 26日・27日は、日本伝統鍼灸学会(於船堀)。27日は、スペインのフィリップさんの講演の座長をしました。そのあと、フィリップさんと筑波に泊まり、翌日は、茨城県の某先生のお灸を見学し、そのあとにみやかわ温灸院を見学して、解散しました。

 フィリップさんがいうには、ぼくにはカゲが無いとのこと。強い光があたったひとは、かならず濃いカゲがあるはずなんだが、カゲが無いらしい。「養心のすすめ」を書いた人物が、どのような行動をするか、ずっと観察し、分析していたようです。

 この観察・分析は、なるほど西洋人らしい。この観察・分析が、情報収集・戦略となり、診察・診断となるのでしょう。としてみると、ぼくは、ぼんやり生きてきたなあ。

 

 

2024年10月16日水曜日

カンガルーバー

 

 むかし、ジープタイプの車がはやったころ。火付け役は、三菱のパジェロ。その時、カンガルーバ-を装着するのがはやりました。写真のように、車体の前方に装着して、ガンガルーとの衝突から車体を守る役割をするのです。日本でそのようなシーンはないのですが、はやったのです。

 ところが、近年、イノシシ、シカが増えて、里に出てきて、道路で自動車でぶつかることが増えているそうです。おあそびのカンガルーバーが、現実になってきているようです。

 日本の人口が減っている、とくに山里の人口が減っている。イノシシ、シカが山里に降りてくる、道路を横切る、事故にあうという流れ。

 イノシシ、シカは、西日本で過密だったのが、東日本も増えてきて、さらに元々いなかった東北地方に増えているそうです。原因は、温暖化と、人口減ですから、いずれ東北地方も満杯になるかもしれません。山里がかかえる問題は、クマの出没だけでないようです。さらに、植物を食べ尽くすので、土砂崩れも起きているそうです。


 

2024年10月14日月曜日

ドイツのテレビ番組

 「YOUは何しに日本へ」という番組で、インタビューに応じたのは、ドイツテレビ局のディレクターだった。ドイツでも、この番組をみていたそうである。番組の作り方をしりたいから、テレビクルーについていっていいか、と頼んでいた。

 そんなわけで、番組作りの裏側に侵入したわけだが、台本が無いことに驚いていた。ドイツでは、かならず台本があるそうである。台本があれば、確実な番組になるが、面白さに欠けるので、「YOUは何しに日本へ」を見ていたのだそうである。

 「YOUは何しに日本へ」は、アドリブで番組が作られていることに気がつき、驚いていた。台本有りからみれば、いい加減に作っているようで、安心できないかもしれない。

 台本を書くことは神の視点だからで、アドリブは虫の視点かもしれない。そうしてみると、「YOUは何しに日本へ」や「ポツンと一軒家」のような番組は、なにげない番組だが、見方をかえればとても面白い番組なのでしょう。見方をかえることは、大事。


2024年10月9日水曜日

アメリカ人のたましい

 テレビでみたのだけど、グランドキャニオンは総延長400キロ以上のこと。てっきり、数キロだと思っていました。東京から仙台をはるかに超えて、ずーっと続いているのです。思っているのの100倍でした。

 まもなく、カテゴリー5(最強)の台風がフロリダ州に上陸するらしい。ちょっとみたニュースだけど、590万人に避難勧告が出たもよう。埼玉県に匹敵する人数が、東北地方に避難するようなイメージ。もちろん高速道路は大渋滞。日本の台風の避難勧告と比べて、10倍以上の、あるいは100倍以上の規模ではないだろうか。

 二つのことから考えてみると、アメリカ人のキモの座り具合は日本人をはるかに超えるだろう。これは天地の授かりもの(たましい)としかいいようがない。

『霊枢』本神篇に、天のたましい、地のたましい、祖先のたましい、父母のたましいが宿って、赤子は誕生するとあるけれど、まさにその通り。


2024年10月7日月曜日

物故者

 本日とどいた『日本鍼灸新報』691号に、物故者7名のお名前と卒年がありました。

 卒年の内訳は、77歳、76歳、73歳、73歳、70歳、67歳、66歳でした。今でいえば、まあまあの寿命です。近年の、知人の卒年も、同じようでした。

 問題は、未病を防ぐといい、健康を売り文句にしていながら、ご長寿者がひとりもいないことです。どこに問題があるのでしょうね。大局的な視点で、検討すべきかもしれません。

裏金問題

  なにやら選挙が近いらしい。

 野党は結束して、自民党の裏金問題を取り上げるらしい。

 しかし、神の視点、虫の視点からいえば、野党は、虫の視点をやりすぎ。大事なことですが、同時に、神の視点からみた、国際関係、国の将来像、本格的災害対策など、大風呂敷をしいてもらいたい。食料自給率や電力問題も真面目にとりあげてほしい。

 自民党総裁戦のときも、神の視点の候補者はいなかったようですから、我が国は、やはり、しばらく、当分の間、半世紀くらいは、現状維持なのかも。

2024年9月28日土曜日

水主町

  小学校から高校まで住んでいたのは、宮城県松島町の水主町(かこまち)という地区。地域の人は「おかこまち」と言っていました。伊達藩の藩船の水夫が住む地域です。

 その町中に、写真のような島があります。大昔は海だったのでしょう。まったく当時のままです。昔の郵便ポストもそのままあります。

 大人になってしみじみ見てみると、自然の造形美というか、曲線や、岩と緑のコントラストがすばらしい。よく考えてみると、近くの瑞巌寺の建物も美しいし、ひっそり佇んでいる三聖堂も美しい。周囲にはたくさんのもみじもあって、紅葉の時期はさぞかし美しいのでしょう。

 子供のころは当たり前の風景でした、圧倒的な美しさの中で10年ちかく生きていたのかと思ったら、今頃になって、幸せ感が湧き出てきました。


2024年9月24日火曜日

今年から

  今年から、茗荷をたべられるようになった。子供のころ、便所の脇に植わっていたので、あの香りを敬遠していたのだが、今年から食べられるようになった。典型的な思い込み、食わず嫌い。

 今年から、小説を読むようになった。手始めに、家の中にあった、村上春樹『一人称単数』、中島たいこ『漢方小説』。今は、勉強会の会場での処分品の藤原新也『コスモスの陰にはいつも誰かが隠れている』を読んでいる。

 小説家の文章はとても読みやすい。少しは文章を書くので勉強になる。

 小説家の文章はきめ細やか。これは虫の視点なのかも。

 小説家の文章は頭が疲れない。というか頭の疲れが抜けていく。

 というわけで、今年は、ちょっと成長しています。

2024年9月19日木曜日

もぐさ欠番

  いつも頼んでいるもぐさ屋さんから「ご注文の○○もぐさは欠番になりました」という電話がありました。似たような製品の試供品を送るので、そこから選んでくれとのこと。じわじわと、その日(もぐさ絶滅の日)が近づいてきているような気分です。

 はりはそんなことは無いかもしれませんが、最終的には、1本の鍼で成立する治療が生き残るのかもしれません。

 さらに考えていけば、マッサージは生き残る可能性が大きい。しかし、無免許者が存在するので、生き残るためには、今の癒やし的なマッサージを、治療的なマッサージに進化させないといけないでしょう。

 いずれにしても、鍼・灸・マッサージ、戦略性がないと、消滅してしまう可能性が大きいのです。

カメラ目線

 スマホが優秀なせいか、みなさん沢山写真をとる。たべもの、風景、記念写真、何かあれば動画だったり。写真を撮るのは、残すためか、人に見せるためか。

 それはそうと、カメラの目線は、虫の目線。カメラを構えないで、全体をみることもしないと、視野が狭くなる、視野を狭くしてしまう、と思う。

 また、目にかたよらず、匂い、味わい、音、触れた感じ、空気の重さ、五感すべてを使う習慣にすると、楽しみがどんどん広がります。自宅の玄関と隣の家の間は、風の通り道で、帰宅すると、庭のサクランボの香りの風が迎えてくれます。家の前は幹線道路で、いろいろな車の排気音がします。改造車の排気音は、ときどきは(荒々しくて)いいものです。高級車の排気音は、それなりに調律されているので、それなりにいいものです。

 目にかたよらない、目を頼りにしないと、別の世界が見えてくるというのは、こういうことではないかと気がつきました。


2024年9月7日土曜日

虫の視点

  金谷武洋『英語にも主語はなかった』(講談社選書)第1章「神の視点と虫の視点」

 日本語を話す人は虫の視点を持ち、英語を話す人は神の視点を持つ、という。地上をゆっくり歩み、廻りの情景がよくみえるのが、虫の視点。天上を飛び、全体がよく見えるのが、神の視点。

 神の視点の神については子細にわからないが、大局的な視点と表現するのがいちばん近い。目先のことは気にならず、おおざっぱに見えるだけである。

 虫の視点は、局面的な視点と表現するのが一番ちかい。目先のことが気になり、細かに見えてします。自分が中心にいる視点である。

 こうしたことを知りながら、村上春樹の「一人称単数」(という短編集)をよんだら、まさに虫の視点であり、まさに日本文学である、ことがすぐわかった。

 ということは、自分の鍼灸治療も、虫の視点だったなあ、と反省。もうちょっと大局的な視点をまぜたい。

 


2024年8月31日土曜日

仙台講演

  今日は、仙台で講演。日帰り。

 行きの新幹線はやぶさは全指定席満席で、デッキに立つという指定席が空いていたので、それで行きました。家から大森駅にも立っていくので、大差なし。車窓をながめているうちに着いてしまいます。おどろいたことに、大宮駅の駅弁はソルドアウト。

 仙台の町は活気に満ちていました。東京を除けば、一番活気があるかと思います。アーケード街で閉じている店はなく、若者もうじゃうじゃいて、なんだか楽しそう。街路樹がゆたかでみどりが多くて、理想的ではないでしょうか。

 会場は、赤門鍼灸学校。父親の母校です。44歳のとき入学して、47歳で松島で開業しました。いまから60年くらい前のこと。なんだか因縁を感じました。

 

2024年8月30日金曜日

総裁選

  自民党総裁選に立候補した、石破氏は67歳、茂木氏は68歳。立憲民主党の党首選に出た野田氏は67歳。ぼくとほぼ同年代の3人は、若手が立候補しているので、とても老いてみえる。経験は豊かだけど、見た目にはつらつさが欠ける。見た目だけでいえば、トランプ氏は若いなあ。しかし、自分も、3人さんと同じように見えているんだろうなあ。とつくづく。

2024年8月13日火曜日

二人の始球式

  小池百合子都知事が、6日のプロ野球の始球式で、左足がすべって、膝を剥離骨折したらしい。全治2か月だそう。以前より、ふと目になっていたから、運動不足と、体重増と、滑ったのとで、骨折になったのでしょう。

 江川卓が、甲子園大会開幕戦の始球式に登場。快投が見られるかと思いきや、山なりのボールで、キャッチャーまで届かず。69歳。太鼓腹。大いに残念。

 上に立つ人は、やはり健康にも気を使ってほしいところ。 


聖和学園敗れる

  甲子園大会の宮城県代表の聖和学園が、1回戦で敗退。最初の方だけ見ていたが、強豪校はお尻・大腿がむちむちしているのに対して、聖和学園の選手が細身だったのが印象的。

 それはそうと、宮城県は、むかしは男女別学で、聖和学園は女子高でした。宮城県大会の決勝は、仙台育英高校(男子校)と聖和学園の対戦で、むかしの頭からすれば、男子校と女子高の対戦ですから、驚きでした。

 仙台には、女子高が10校ぐらいあって、今は2~3校くらいになっているもよう。白百合学園は、さすがに女子高のままでした。

2024年8月6日火曜日

ゴミ減る

  毎週、火曜と金曜と、生ゴミの日です。最近は、ゴミの量が減っています。半分とまでいわないが、以前の3分の2ぐらいでしょうか。物価が高くなって、財布のひもがしまり、買い物を控えているのを反映しているのでしょう。

 反対に、ペットボトルは多いのですが、熱中症対策なのでしょう。

 異常気象も心配ですし、株価が急落しているようですし、中東情勢もきな臭くなっているので、今後は安閑としていられないですねえ。といって、何の対策もせずに、いぜん通りの生活をしてしまうのですが。「目覚ましが、鳴っているのに、目ざめない。」

 ニュースなんかみなければ良かった。

2024年7月29日月曜日

あんべわるい

  体調が悪い、気分が悪いことを、宮城方言では、あんべわるいという。漢字で書けば、塩梅悪い、だと思います。暑くてあんべわるい。

 おなじく体調が悪いことを、ぐえわるい、とも言います。漢字で書けば、具合悪い、だと思います。(ずっとクーラーがかかった部屋)この部屋にいると、ぐえわるい。

 今日は、40度予想が、3カ所出ました(前橋・熊谷・甲府)。『素問』四気調神大論は、夏は、愛する者が外にいるつもりで、戸外に出て汗をかくといい、というが、今では、危険な行動ということになる。しかし、とはいっても、室内にこもって、全く戸外に出ないというのは、どうだろう。日光を浴びないのだから、温室野菜と同じように、弱々しくならないか。

2024年7月25日木曜日

見て見ぬふり

  ある日の都電の社内。高齢の女性が立っていたので、スマホに熱中している女子高生に、席を譲ってくれるようにたのんだら、了解してくれたので、高齢の女性に、どうぞといったら、「いいです、大丈夫です」といいました。次の停留所で降りるかもしれないので、女子高生にはそのまま座ってもらうことになりました。

 次の停留所では、高齢の女性は降りず、女子高生の隣りの中年の女性が降りました。ならば、次降りますから私の席にぞうぞ、と言ってくれればいいのに。

 なんと、その中年の女性の席に、かの高齢の女性がそそくさと座りました。ならば、譲ってくれたときに坐ればいいのに。

 なんだか、もやもやした、席譲り劇でした。

 結局、自然の流れにまかせていればよかったわけで、お節介した自分がお邪魔だったのかも。やはり、お花盗み事件と同じように、見て見ぬふりが良かったのかも知れません。

2024年7月19日金曜日

朝乃山

 お相撲さんの朝乃山が膝を痛めて休場。 手術を要するとのこと。 2~3場所休むとすれば、番付は三段目まで落ちるとのこと。 コロナの時に、懲罰で6場所休場で、三段目に落ちたのに。 つくづく、波乱万丈。 味わい深い人生。

 とんとん拍子がはハウス栽培とすれば、朝乃山はまさに雑草。 引退後がかえって楽しみです。 大分の悪童だった龍二が、大関の千代大海になり、九重親方になり、相撲協会の役員になっているのですから、人生の幸不幸、善悪は、予測不能。

 しかし、手術した後の、リハビリは大変だろうし、本場所の土俵に戻るまでも大変だろうね。 復活したときは、国技館にみにいきたい。

 

2024年7月11日木曜日

高校野球予選

 夏の甲子園の県予選が始まっているらしい。故郷の宮城県の結果が新聞に掲載されました。連合チームとして、2校・3校くらいは聞いたことがあるが、写真では5校の連合チームである。驚いている場合では無く、神奈川県では7校の連合チームもあったらしい。

 東北の田舎だから5校連合だと思っていたら、人口の多い神奈川がそれ以上だったのであるから、高校生が減っているからというだけではなく、野球部に入る学生が少なくなっているのだ、と考えられる。

 中体連では、20競技のうち、部活動のすくない9競技をおいおい廃止するという。水泳、ハンドボール、体操、新体操、ソフトボール男子、相撲、スキー、スケート、アイスホッケー。

 時代にあわせて、部活動も、変わっていくんだなあ。


2024年7月1日月曜日

風邪ひき

  第二孫につづいて、第三孫も風邪をひいた。遊びに来てコンコンと咳されては、いつかは洗礼に合うだろう(と戦戦兢兢である)。

 最大の防衛策は、経脈説でいえば、衛気を正常にし、三焦に負担をかけないことである。つまり、よく寝ること、腹八分目。

 養心説でいえば、心静かを保つこと。さすれば、真気が安定する(ホメオスタシスが維持される)。

 さて、この2説で、この荒波を乗り越えられるか。

骨を折る

 山脇東門の『東門随筆』に「骨を折る」という表現が3カ所ある。「力を尽くす」「苦労する」というような意味である。

 たとえば、「畢竟、後世家と称する医は、骨を折りて穿鑿せざるゆえ、其の技、精細ならず」「本邦、近世にも、名医と称せされたる人余多あり。皆宋後の療治を取りたるものなれど、一体皆骨を折りたるものゆえ、格別の事どもあり」という。

  和田東郭の『腹診録』には「工夫」ということばが5カ所でてくる。よい方法や手段を見つけようとして考えをめぐらせることで、「骨を折る」に近い意味がある。山脇東門・和田東郭という最高レベルの医者は、世襲であったにせよ、日夜研鑽を積んでいたと思われる。

 医療であるからには、厳密に、かつ精細に治療しなければならない。安直に習って、安易に治療するような者・風潮は、批判されてもしかたない。




2024年6月24日月曜日

花をひきぬく

  奥さんが先、旦那さんが後、というご散歩さんに遭遇しました。

 奥さんは、開店祝いの花輪から、黄色い花を1本抜いて、バックに入れました。

 旦那さんは、それをとがめませんでした。

 1正義感をだして叱責する

 2見なかったことにする

 2を選びました。もしかしたら店長さんかも知れないし、店長さんから許可をもらっているかもしれないし、そうしたら冤罪ということになる。窃盗だとしても、切れられても困る。というわけで、さっさと忘れてしまいたい。



2024年6月23日日曜日

浦和高校

 高校の男女共学が進んでいるらしいが、埼玉県では別学が根強く残っている。

 残してほしい、教学にすべき、と押し合いが続いているもようをNHKが特集していた。

 個人的には、残してほしい。共学一本やりではなく、共学・別学どちらも存在するほうが、多様性という意味で、いいと思うのだが。故郷の仙台も別学でしたが、今はほとんど共学になっているもよう。仙台の女子私学、聖和学園、常盤木学園、白百合学園、ウルスラ学園、いまはどうなっているんだろう。

 それはそうと、浦和高校の学生が、教室に残って夜9時まで勉強している場面があった。一人や二人ではなく、教室の半数くらいでした。優秀で入学して、さらに精進している姿をみると、卒業時点でだいぶ差がつくはず。トップレベルの高校をかいま見て、感心してました。

2024年6月15日土曜日

謙虚になる(つづき)

  下重暁子著『極上の孤独』(幻冬舎文庫)の中に、ぼくと似たような記事があった。

「そこで意外なことに気がついた。日課のように通っている熱心な人のほうが先に亡くなる例が多いのだ」

「この二人にかぎらず、常日頃から健康を気にし、運動も欠かさない人ほど早死にである。なぜそうなのか。私のようにいいかげんな方が長生きし、いつまでももっている」

「自分の体の声にもっと耳を澄ますことが出来れば、休むことを大事にしただろう。仕事も運動もやり過ぎはいけない。健康を過信すると、自分の体の声を聞き忘れてしまう」

  めざすのは、頑張りか。→神仙思想

  めざすのは、ほどほどか。→陰陽家思想

  めざすのは、控え目か。→道家思想

 

 


2024年6月11日火曜日

謙虚になる

  今年に入って、何例かの70代女性の座骨神経痛を診ているが、「今まで元気で、うんと歩いていたけど、急に痛くなった」というのが共通している。歩き過ぎの疲労がたまってたまって、それが取れなくなったものと思われる。このことは男性にも言え、調子にのってランニングしていたら、足の故障で走れなくなったというのも、走りすぎの疲労がたまってたまって、故障したものと思われる。

 前期高齢者は、あるていど身体が動くので、やり過ぎる人がいる。そういう人が故障するみたい。足りない程度がよいみたい。こういうことは、同じような年齢にならないとわからない。謙虚になって耳を傾けた人は、故障しなくてすむようです。

 同じ事は、飮食習慣、飲酒習慣にも言えて、調子に乗っていると、急に悪くなるようです。先輩方をみていて、そんな気がします。若い人たちに小言をいっても、謙虚になって耳を傾けてくれる人はいないので、どうしたら良いものか。

2024年6月8日土曜日

汝窯

  本棚を整理していたら、『大観』という、台湾書がでてきた。おそらく、2006年に、真柳誠教授に誘われて、故宮博物院図書館に図書調査に行ったときに、購入したものと思われる。汝窯の青磁が21点の写真が載っている。世界中で70点あるうちの21点である。

 北宋時代に宮廷用として焼かれたもの。かつて42億円で落札されたという記事もある。東京国立博物館などにあるかもしれない。

 フォルムが良く、端正で、清廉。写真をみるだけで、満腹になる。世界で3腕しかない(それが日本に有る)窯変天目茶碗のきらびやかさも良いが、好みとしては汝窯が良い。お金があったら手元に欲しいぐらい。

 以前、ひなびた味わいの大井戸茶碗を持っていました。脆そうで、割りそうな気がしたので、人にあげてしまいました。大井戸茶碗は朝鮮由来で素朴、汝窯は中国由来で端正。好みは、年齢によって好みは変わるのでしょう。




2024年5月29日水曜日

石神井川

  石神井川は、練馬区から北区王子を経て、墨田川に注ぎこみます。鯉らしき魚が泳いでいましたので、写真をとりました。10匹くらいはいたでしょうか。

 大きさは60~70センチはあろうかと。お腹周りもふと目で。

 水清くして魚住まず。まさに水濁りて魚住む。


2024年5月25日土曜日

お相撲

 今場所も、怪我人が多くて、休場者も多い。とくに上位陣に休まれると、興ざめ。真打が休んで、二つ目・前座で高座を盛り上げている感じ。琴桜は、現在は最上位だけど、照ノ富士にはかなわない。しばらくは圧倒的な強さが居ないという中でのお相撲だねえ。メジャーで通用しなかった筒香が、日本に帰ってきて活躍しているような、複雑な気分。

 解説の舞の海さんが、7~8割の力で稽古しているから、本場所で10割になったときに、2~3割無理することになる。その無理が、けがに繋がるのだと言っていました。

 仮に腰痛で休場したとして、寝て休んでいては、体力も落ちるだろうから、痛いながらも稽古はしているんでしょうね。素人テニスでも、1週間も休むとからだがなまってしまうのですから。

2024年5月19日日曜日

『チベット旅行記』

 黄檗僧の河口慧海(1866~1945)著。東洋鍼灸専門学校在学当時の、島田隆司先生の推薦図書。今から40年以上も前のこと。いつかは読む、というつもりか、40年以上も架蔵されたままでした。この度、ようやく読み始めました。残り5分の1。チベット脱出というクライマックスを迎えました。

 手元の本は白水社発行。講談社学術文庫のものもある。さらに青空文庫からデータ公開もあり、それでも読むことができる。

 明治30年(1897)に神戸を出発し(32歳)、チベットに入るまで3年かかったという。当時のチベットは、他国人の入国を禁じていたので、要するに密入国であり、正式の道をたどらなかったために、ハラハラ、ドキドキとなった旅行記です。雪解け水の川を渡ったり、岩の間に寝たり、雪の中に寝たり。旅行記というより、冒険小説のよう。なので、小さい字で、二段組で、はなはだ読みにくいが、ぐいぐい読み進むことができる。

 どんな困難な場面に在ろうとも戒律を破らない、徹底した仏教者である。比較するわけではないが、千日回峰行の厳しさにも通じている。

 今、こうして読んでいると、40数年は本書をよむ準備期間だったかと思う。ありがたし。

2024年5月9日木曜日

お灸の学校

 5日・6日と、4時間ずつの講義を無事終了。普段、4時間をしゃべることはないので、声はガラガラ。普段と違う動きなので、体はへとへと。両日ともに、9時間以上寝ました。よく考えたら、68歳には、ちょっと無茶だったのかも知れません。

 それでも、今持っている知識と経験を出し切るには、4時間は必要だったと思います。何気なくやっている治療という行為を、ことばで伝えることがなんと難しいことか。

 同じことは、古典でもいえるのです。2000年前の治療を、漢字で伝えようとしたのが『内経』なのだと。いまごろ、こういうことに気づくのですから、遅咲きというか・・

2024年5月2日木曜日

奥田謙蔵先生

 奥田謙蔵先生(1884~1961)は、漢方の大家で、古典研究の第一人者。という程度の認識でしたが、弟子の藤平健先生の「嗚呼奥田先生」(『百味箪笥』)を読んで、一度、お会いしたかったなあ、と思った次第。

「先生のおそばにいると、何となく温かい。」「先生に接していると、兎に角温かいのである。」「先生は極端に欲が少なく、かつ万事に控目な御性格であった。」「先生はお怒りになるという事がなかったし、愚痴というものをこぼされるのを聞いた事もない。」

 こうしたコメント読んでみると、『論語』学而篇の「夫子、温良恭倹譲」という句を思い出す。孔子は、温(おだやか)・良(すなお)・恭(うやうやしく)・倹(つつましく)・譲(ひかえめ)だという。孔子と奥田先生はまるっきりおなじ。過去の人では、伊藤仁斎も近いと思われる。

 文字で読むとわかった気にはなるが、お会いたり、講義を聞いたりするのが何より。あとは、お書きになった文章を読むしかないか・・


2024年4月30日火曜日

学校踏切

 大森駅の北側(東京衛生学園のやや近く)に車が通れない小さな踏切があり、学校踏切というようです。先週、9時前に通ったら、時間は計っていないが、10分以上、開かずでした。京浜東北線がひっきりなしに、その間に東海道線、上野東京ラインが埋めるように、通過してました。

 警報器は、容赦なく、カンカンとなっていました。最初に待っていた人たちは、いつの間にかいなくなり、時間に余裕がある数名だけが、辛抱強くまってました。ようやく、カンカンが途絶えたと思ったら、踏切の途中でまたカンカンとなり始めました。運が悪ければ、連続したのかもしれません。

 京浜東北線は、駅が近いから、スピードは遅いが、東海道線と上野東京ラインは、快調にとばしているから、短気を起こして遮断をくぐったら、命はないかも知れない。

 開かずの踏切、なかなかできない体験でした。二度と通らないだろうから、最初で最後の体験でしょう。

2024年4月26日金曜日

お灸の学校9

  毎年恒例の「お灸の学校」を、杉山神社本殿でおこないます、5月5日・6日、両日を担当します。学生さんから、いろいろ話しを聞いてみると、学校の授業では、透熱灸は一生懸命やるけど、温灸類はほとんどやっていないらしい。ということで、温灸の講座を二日間でやります。オンラインはなく、対面だけです。「灸法臨床研究会」のHPをごらんください。

 ついでに、医学古典に基づく鍼灸臨床シリーズの先頭として「『内経』は面白い-臨床の謎が解けていく」を、5月26日に、オンラインはなく、対面でやります。場所は、新宿区江戸川橋です。「日本伝統医学総合研究所」のHPをごらんください。

 どちらの会場も広くないので、興味があったらお早めにお申し込みください。

 

2024年4月25日木曜日

上方落語入門者低調

 桂吉弥さんのインタビュー記事で、上方落語の入門者が昨年度は2名、その前も2名だったそう。コロナを境に潮目が変わったという。

 鍼灸専門学校も、入学者激減、夜間部を廃止したという話を聞くから、この業界も潮目が変わっているらしい。学校も、いままで通りのことをこなしているだけでは、先細りになるのだから、入学希望者を増やすことを考えればならない。

 人口戦略会議は、消滅可能自治体として774の自治体名を発表した。それは、20歳~39歳の若年女性人口における減少率が高い自治体、である。この年齢は、落語入門者、鍼灸学校入学希望者と同じである。

 要するに、20歳~39歳が、やってみたい、面白そう、楽しそう、と思えるような学校、あるいは業界にすれば、先は明るそう。これはおじさんが考えてもダメで、20歳~39歳の人に考えてもらうのが良いのではないでしょうか。



2024年4月22日月曜日

雪舟展

  4月20日、小曽戸洋先生の講演を聞きに行きました(大阪)。国宝級の医学古典の展示もありましたので、眼の保養もしてきました。家にこもってばかりだと、心がこもってしまうので、養心のために出かけました。

 翌日は雨模様だったので、京都博物館に眼の保養に行ってきました。雪舟展でした。国宝「慧可断臂図」に出会えたのが、収穫でした。

 しかし、雪舟ばっかりみていると、あまり浮き浮きしない。どうも、自分は、絵画が好きでないらしい。ミュージアムショップの陶器の絵はがきは見飽きなかったから、あるいは城の石垣が好きだから、どうも、鉱物系が好きなのかも知れない。


2024年4月4日木曜日

「モナリザ」は高脂血症

  視覚を用いた診察を視診という。視覚を用いた診察に望診というのもある。少し離れて、ボーと見るので望診といいます。じっと視ようとしたら、みえてこないこともあるのです。

 昔は、『芸術新潮』を購読していました。なぜか、1999年9月号1冊だけ残っていて、その中に「ドクター・シノダの人物画診断」がという連載記事がありました。ダビンチの「モナリザ」、その左目と鼻すじの間にいぼのようなものがあり、それは高脂血症から生じた黄色腫であると言っています。絵画も、医学的にみることができる、という面白さがあります。それをまとめたのが篠田達明著『モナリザは高脂血症だった』(新潮新書)で、このたび買いました。

 レンブラントの「バテシバ」の女性モデルは、左腋下に窪みがあるので乳がん。豊臣秀吉は、多指症で、高台寺蔵「秀吉像」は、手を異常に小さく書かれているのは、目立たないようにしているから。「まいまいつぶろ」の9代将軍徳川家重の肖像もあり、アテトーゼ型の脳性麻痺だそう。

 など、合計29枚の肖像画の視診が記録されています。こういうことを中国医学からも展開したら、おもしろそう。

公冶長

 『論語』公冶長篇に、公冶長という若者が登場し、鳥の会話がわかる者らしい。鳥が「あそこに死者がいる」と話ししているのを聞いて、交番に死者がいることを届けたら、死者の発見者=殺人者と見なされて投獄されるが、孔子は冤罪だと看破し(この若者の素性を知っていたのでしょう)、ついには自分の娘を公冶長の嫁にした。

 患者さんに借りて『まいまいつぶろ』(幻冬舎)を読んでいたら、第九代将軍家重の小姓(身の周りの雑用を務める役)の大岡忠光も鳥の会話がわかると書いてあった。

「鳥は、人が思いもよらぬことを鳴き交わしております。もうすぐ風が強まる。雨雲が近づいている。危ないゆえ離れよと、互いに知らせ合うております」

 聴覚を使った診察に、聴診(意識的に聴こうとする)、聞診(意識的に聴こうとしないで、自然に聞こえてくる)がある(そもそも聴診と聞診は異なるもの)。このほかに、公冶長や忠光のような、超人的な診察をしている人がいるかも知れない。



2024年4月3日水曜日

進級(テニス)

  習っているテニス、68歳の誕生日直前に、一番上のクラスに進級しました。この年になっても、成長するもんですね。(われながら恐ろしい)

「養心のすすめ」を書いて、養心を心がけているものの、養形(身体を鍛えること)もおこたらず。そして、ある程度、享楽もしています。型にはまらない養生というのもあるのです。貝原益軒『養生訓』は、他者養生と自己養生(養心・養形・順天)を組み合わせています。

 


2024年3月21日木曜日

夢(空想)

  短い夢だと、今度、来年、10年後。中ぐらいの夢だと、老いるまで。その次は、死ぬまで。その次は、来世にも続く。

 中ぐらいの夢で、家庭を持ち、家を建て、自動車を買えば、老後の夢がなくなってしまう。燃え尽きてしまう。しかたないから次の夢を、孫に託したり、ペットに託したり。

 そういう意味で、不老不死という夢は死ぬまで続き、天寿を全うしたいという夢も死ぬまで続くから、なかなか良い夢である。

 来世に続くという夢とは、永遠と生き続ける転生、極楽浄土、子孫を見まもる霊となりたいなどは、さらに良い夢である。

 たとえば「来週は遠足だ」「再来週はデートだ」というのも、実現するとは限らないから、夢である。夢は、達成するその日までは幸福感一杯なのである。多少、いやなことがあっても、幸福感一杯である。

 それが死ぬまで続き、さらにその先まで続くとしたら、転生する、極楽浄土に行く、子孫を見まもるという夢は、幸福感に満たされた人生となるのである。すばらしい。

 来世につながる夢をもった人は、目がキラキラしているんでしょうね。

 

2024年3月18日月曜日

『老子』第20章

 『老子』第20章は「わたしは愚かものの心の持ち主、のろのろと間がぬけている。道を知ろうとしない世間の人々は、はきはきと知恵がよくまわるのに引き替え、わたしだけはどんより暗くよどんでいるかのようだ。世間の人々はてきぱきと敏腕を振るうのに対して、わたしだけはもたもたしている」とある。いじけた人物の、いじけたさまの羅列で、なぜ『老子』にあるのか解らないでいたが、冒頭の「学を絶つ」がキーワードで、学を絶つとは人為を絶つことで、つまり無為のことを言っている。いじけた人物は、無為であり、自然であり、実は楽しんで、愉快なのである。ああ、いじけた人物、いじけたさまと見た自分がうらめしい。

 

2024年3月17日日曜日

澤木興道全集第二巻

 澤木興道(1880~1965)は、曹洞宗の僧侶。定住の寺を持たなかったので「宿なし興道」と呼ばれたらしい。まさに行雲流水を実践したひと。

『全集』は全18巻で、別巻1冊。その第2巻が「禅談」で、講話を文字に起こしたもの(なぜか第2巻だけが家にある)。宗教的談話を、文字に起こす人はよほどの教養の持ち主である。澤木の話は、仏教くさくなく、たとえ話しが豊富で、とても面白い。

 この中に「少欲と知足」という章がある。お釈迦さまの最後の説法をおさめる『遺教経』が出処という。『老子』にも、十九章に「寡欲」、三十三章・四十四章に「知足」とあり、仏教と道家は、この辺りで通じていると思われる。ちなみに、得る前の欲を戒めたのが「少欲」で、得た後の欲を戒めたのが「知足」という。


2024年3月5日火曜日

嚢胞症その4

 上は2月初めの写真、下は3月2日の写真。ほぼ治りました。12月から、ぬか床汁をのみはじめて、3か月でこのような状況です。

 のむ回数を増やせば、もっと早く治ったかと思います。ぬか床汁が貯まったら飲んでましたが、どんどん生産して飲めばよかったかも知れません。どんどん生産すると、ぬか漬けをたくさん食べなければなりませんから、そのあたりが壁になります。治すために、ぬか漬けを捨てればよいのですが・・・


 

2024年3月3日日曜日

養心の証明

  昨年秋に出した『養心のすすめ』では、心を空っぽにすれば、健康を維持し、長寿を達成することができる、と説きました。今年からは、その証明の生活に入ります。そうでなければ、おおほらふき、と言われるでしょう。

 若い時から心を空っぽにすれば、100歳まで到達することができますが、今頃になっては、すでに遅し。それでもこれから努力すれば、80歳、90歳ぐらいは到達することができるはずです。

 というわけで、仕事量を減らす、我慢をしない、気を使わない、ということをコツコツ続けていこうかと思っています。丹塾古典部を閉じたのは、その一環です。昨年は、ほぼ毎週、講座か、講演をしていました(オンライン・対面)。その結果、掌蹠膿疱症になったのですから、そんな無茶はやめて、「養心」につとめることにしました。

 『老子』63章に「軽々しく諾するは、必ず信寡なし」(軽々しく安請け合いする者は、必ず信実に乏しいものである)とある。かつては「ためらいなく」請け合うのが『老子』的だと思っていたけど、いまは63章のいう通りだと思っている。養心のために、講演は安請け合いしない方針である。

 

 

丹塾古典部閉じる

  2011年9月から始めた丹塾古典部は、15年目で閉じました。いろいろな古典を読みました。最後は『難経』と『六診提要』でした。『六診提要』は2巡りしました。とてもよい診察の教科書です。丹塾古典部の仲間以外は、読んだことはないかと思います。

 『六診提要』があれば、読む。しかし、大抵の人はあっても、読まない。あることも知らない。でも、2巡りも読めたことは、つよい「縁」があったとしかいいようがない。江戸時代の先生方が残してくれた叡知は、きちんと受け継ぎたいとおもう。

 中国の先生方の叡知は、思想(陰陽五行説とか)が見え隠れして、なかなかなじめないが、江戸時代の先生方の叡知は合理的で、誠実で、とてもなじみやすい。

 以上、15年続いた丹塾古典部閉じる、という話題でした。

2024年2月20日火曜日

コンクリートのがら

 我が家は、たんぼを埋め立てたところに建っている。

 土地を造成するとき、いろいろな物を埋めたらしく、多いのがコンクリートのガラ。それが整地している裏の駐車場からも出てきています。少々の大きさでは驚かないですが、人の背丈以上のものが出てきたので、写真をとりました。奥のトラックと比べてみればよくわかります。

*次の朝、近くで撮ってみました。大きなお相撲さんのようでした。




2024年2月16日金曜日

六道輪廻

  死後、生まれ変わる6つの世界を六道といい、天上、人間、修羅、餓鬼、畜生、地獄である。死んでは生まれ変わるのを永遠に続くのが輪廻。

 子どものころは、六道輪廻は知らいけど、日常のことばに使われていました。

 修羅は、事故現場や泣き叫ぶ場面など修羅場といいます。テレビのニュースやドラマで流れてきます。以前は、テレビのニュースを見ながらご飯を食べてましたが、自分に修羅の心があるのに気がつき、修羅の心がエスカレートしないように、ニュースは見ないようにしています。

 餓鬼は、いつもお腹が空いて食べたがる子どもをガキといいますが、がつがつして満たされないようなことです。待てずに、立って食べたり、手づかみで食べたら、怒られました。餓鬼の心をたしなめられたのでしょう。

 畜生は、犬とか猫のことを言っていました。ペットではなく。相手をののしって「こんちくしょう」とか言います。

 日常に六道を使って教育していたのですね。仏教徒でなければ、気にする必要は無いでしょうが・・・


2024年2月13日火曜日

『老子』四章「和光同塵」

 池田知久は、「和光同塵」を「己の知恵の光を和らげて、塵のような渾沌たる世界と一つになった」と訳し、「自分の能力を包み隠して俗世間と交わる」という意味の処世訓として有名である。しかし、この理解は「和光同塵」の正しい意味を把えそこねた通俗的な解釈であるという。(池田知久『老子』講談社学術文庫

 「塵」を一般的には俗塵の意味にとるが、池田は「道」の渾沌の意味にとるところが異なる。出典の四章では「挫其鋭、解其紛、和其光、同其塵」となっていて、「解其紛」と対になっている。「紛に解けこむ」「塵と一体になる」=紛・塵に解けこむ・一体になる、となり、この紛・塵が「道」の渾沌を表していることをいう。

 そもそも「包み隠して俗世間と交わる」とは、包み隠すことは人為であるから『老子』は言わない。やはり、小賢しい知恵を捨てて(人為を捨てて)、道と一体になる、が本意である。


 






2024年2月2日金曜日

嚢胞症その3

 

 上の写真が、12月初め。下の写真が、2月初め。2か月経過です。写真の撮り方が下手で申し訳ないですが、だいぶ良くなってきました。2か月前は、真皮層まで到達して、割れると痛いような状況でしたが、今は表皮層だけのようで、割れるようなことはありません。
 あと一か月で完治するのではないでしょうか。

 
 前に紹介した、藤平健先生の『百味箪笥』に、藤平先生が、機能性ディスペプシアに罹患したとき、自分で、湯液を処方したが、癒えず、友人の小倉重成先生から、縄跳びすると良いと教わって、せっせと縄跳びしたら完治したという話が載っていました。

 くすりでもない、はりきゅうでもない、何でもないというような治療が、あちこちにあるもんですねえ。

2024年1月30日火曜日

『老子』四十二章

 『老子』四十二章に「道生一、一生二、二生三、三生万物」とある。池田知久『老子』(東方書店)は云う。

 その「一」とは、まだ「一気」や「太極」のようなルーティーン化した具象的な思想概念とはなっていない。「道」が生じた漠然たる未分化な原初的な統一体とでもいうべきものである。

 「二」は「陰・陽」または「天・地」などに当て、「三」は「天・地・人」または「陰・陽・和気」または「形・気・質」などに当てる見解が多いが、漠然たる未分化な原初的な統一体が次第に分化していうプロセスを一般的に述べたものであって、そのような後代のルーティーン化した具象的な思想概念で把握するのは不適当ではないだろうか。

 どの注釈家も、「一」、「二」、「三」が、何に相当するかの解答を用意している(したがる)。が、池田は、後世の知識に当てはめるな、ただ一般的に述べたものだ、と大鉈を振り下ろしている。なんてすばらしい。


 



2024年1月27日土曜日

冥福をお祈りいたします

  死に際し、よく「冥福をお祈りいたします」という。

 「冥」は、冥土・冥途のことで、死者の世界である。死後、閻魔様の判定で、生前、善>悪であれば極楽に行き、善<悪であれば地獄に行くのである。「冥福を祈る」は、極楽に行けるように祈ることである。

 合否すれすれの人だから、極楽に行けるように祈る(祈願する・希望する)のであるから、その人は、まあまあの悪事をはたらいたことになる。

 ぼくは、死者の世界に行くのではなく、生き返ると信じている。そうであれば、やり直すことができるし、もっと良くもできるし、やり残したことをやることができる。そうであれば、死に際しては、「また、お会いしましょう」ということになる。

 お別れのことばは、死をどのように考えているかを、反映しているのです。

 

『死の講義』

  橋爪大三郎『死の講義』(ダイヤモンド社)は、世界の宗教・思想がどのように死を考えているかを説いた書で、イメージ的には小百科事典である。

 仏教でいえば、バラモン教→ヒンズー教→仏教→小乗仏教→大乗仏教→中国仏教→日本仏教という歴史があり(つまり仏教前と仏教後があり)、それぞれに死の考え方が違うことを説明している。中国・日本に至っては、さらに枝分かれていているから、こうしてマッピングしてもらうととても理解しやすい。小百科的な説明なので、専門家、宗教者からはクレームがつくかもしれないが、普及という意味では、とても良い本である。

 鍼灸も、枝分かれが激しいので、お互いに意思疎通ができないし、ひいては世間に認知されにくいのであるが、『死の講義』のようなマッピングをすればよいかと思う。

 バラモン教は輪廻の考え方があり、お釈迦さまは輪廻を否定したそうである。しかし、小乗、大乗がまたぞろ輪廻を持ち出したから、のちの仏教も混乱してしまったようです。ふむふむ。

2024年1月20日土曜日

養生(生き方をケアする)

  拙著の『養心のすすめ』において、養生を分類しました。その養生は、生命をケアする(養)という意味ですが、生き方をケアするとみなせば、拙著のものだけでは足りません。

 拙著の養生の分類は、「現世に限る」ものであり、来世を考えたら、もっと他の生き方があります。たとえば、天国に行きたいならクリスチャンであらねばならず、地獄に落ちたくないなら悪業をしてはならないし、もし生まれ変わりを信じているなら、来世の自分をイメージして、現世の自分を生きなければならない。秦の始皇帝は、来世も皇帝になるつもりだったから、地下軍団を作ったのです。

 死者の霊は、きちんとお祭りすることによって善鬼になり、子孫に益をもたらし、お祭りをさぼれば悪鬼になり、子孫に災いをもたらすのです。子孫にちゃんとお祭りしてほしければ、現世でしっかり先祖をお祭りし両親に孝を尽くねばならないのです。

 こうしてみると、現世限りなのか、来世を考えるのかによって、生き方はだいぶ異なってきて、生き方をケアすることも必要になってくるのです。第二版では、追加したいところです。

2024年1月3日水曜日

掌蹠膿疱症 その三

 知っている人で、掌蹠膿疱症にかかり、お薬をもらいに遠くのお医者に行っていると聞きました。また、掌蹠膿疱症は、漢方薬でも治るようなことが、雑誌に発表されていました。あるいは、鍼灸の名人で治すひとがいるかもしれません。これらの場合、治療費はいくらかかったのか、治るまで幾日かかったのか。

 しかし、ぬか床の汁を飲んだだけで、1か月でこれだけの成果を上げることができるのですから、合理的に考えたら、一番良い治療法だと思います。理屈もそれなりに通っているし。

 夜尿症は、水分摂取の時間を変えるだけで、1日で治ります。飲んだ水分は、おおむね12時間後に小便になるのですから、午後の時間に水分を摂取しなければ良いのです。むやみに鍼したり、根拠のない治療費をかき集めるのなら、藤平先生にしかられるでしょう。

 合理的で、はやく、安価に治る方法を、現代医学、漢方、鍼灸、それ以外ににこだわらずに、探し求めることも、医療の義務だと思います。

2024年1月2日火曜日

治療上の三原則

 個人的な思わくでは、藤平健先生は漢方の先生である。しかし、その著書の『百味箪笥』(緑書房)は次のようにいい、漢方家ではなく、医者である。

私は、私なりの信条にしたがって、治療をすすめている。その信条というのは、現代医学と漢方との、いずれを用いた方が、この患者の病気を、より早く、より根治的に、そして安価に治すことができるかという、いわば私なりの治療上の三原則なのである。この原則にかなうならば、それが現代医学であろうと、漢方であろうと、いずれを用いてもかまわない。したがって私の毎日の治療は、手術もやれば、注射もやる。漢方だけ用いることもあれば、それらを併用することもある。

 つまり、藤平先生は、治療法にこだわらない医者なのである。それを「安価に治す」というのであるから、とてもスマートである。わたしも、おなじ信条を持って、これからも励みたい。

 暴利のような治療費を設定してイキがっているようでは、鍼灸界の雲行きはあやしい。謙虚さを失うと、みんなから嫌われるのは、自明のことなのに。

2024年1月1日月曜日

掌蹠膿疱症 第二報

 正月の一日に、第二報です。上の写真が12月6日。下の写真が1月1日。

 大分治ってきました。残すところ3割というところです。治療は、ぬか床の汁を飲むだけです。大根の季節ですので、ちょうど良いのです。

 心的ストレス→腸内細菌叢の乱れ→嚢胞症

 心的ストレスは無くなっても、嚢胞症は治らず。次の作戦として、腸内細菌叢の乱れを改善するためにぬか床汁を飲んでいるわけです。