宇治橋のたもとの通円さんから、朝霧の道をしばらく歩くと、道元が最初に開いた興聖寺があります。中国の本式の修行ができるとたくさんの修行僧が集まったそうです。中国からやってきた文化は、日本にくると日本化されて、本来の姿が薄れていくのでしょう。鍼灸も同じでしょう。
興味深かったのは、興聖寺の山門までの琴坂。下の龍門から、上の山門までの、一直線の上り道。他の寺になくて、はっとさせられます。観光パンフレットには紹介されていないので、現地に行かねば体験できません。いろいろなお寺にいきますが、どうも、建物より、仏像より、伽藍配置にくいつくようで、まずこの地を選んだ理由、まっすぐな上り坂にした理由を、1619年に再興したひとに聞いてみたいですね。
織田信長の安土城の大手道も、同じように一直線の上り道ですから、興聖寺からヒントをもらったのではないかと推察します。
途中で関電宇治発電所がドドーっと排水しています。この水は琵琶湖の水で、大津市南郷で取水し、トンネルをくぐってここまでやってきているそうです。アイデアと実行力がすごいねえ。
京都あたりをうろうろすると、かつての最先端の文化・文明が残っていて、東京は田舎だったんだなとつくづく思います。
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