「これを知る者は、これを好む者に如かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず。
これは、『論語』雍也篇の文章。最後の「楽しむ」というのが難解。この「楽しむ」が現代人の「楽しむ」と同義ならば、現代は孔子の理想どおりということになる。
始めは、好む・好まない、を乗り越えた境地が楽しむだと思っていました。しかし、『論語』の中では、孔子は、食べ物の好き嫌いをするし、毎日の生活にこだわりがおおくて、好む・好まないを乗り越えていないのです。
貧窮生活をしている顏回を、孔子は「楽しみは其の中に在り」と言って称えています。其の中って、どの中なんでしょう。
近頃、俗世間のことは、孔子の視野になくて、孔子はいつも天の神を意識して、天の神を判断基準にして生きていた、と考えるようになりました。
つまり、「天の神の下に生きている」ことが「其の中」で、「天の神の下に生きている」ことが「楽しみ」、と考えるようになりました。
俗世間から意識をそらし、天の神を意識して(祈って)歩むのが「楽しい」のである。この視点で『論語』を読むと、なるほどと合点が行くのであります。
孔子が重い病気になったとき、弟子が「祈りましょうか」「古典に天地の神々に祈ると書いてありますし」と言ったとき、「私はずっと祈っていたよ」と答えたところ(述而篇)が、その良い例。ずっと祈っていたのです。
0 件のコメント:
コメントを投稿