『論語』の為政篇に「人にして信無くんば、その可を知らず」という文章があります。いままでは、人間関係で信用が確立されていない奴は人間としての可能性は無い、という意味だと思っていたのですが、孔子が、天を祀り、祖霊を祭るすがたに思いを致せば、天・祖霊に信が確立してのち、その余沢で人間関係の信がつくられる、と考え直しました。
なので、一生懸命、人間関係を取り繕うとしたってダメなのです。天・祖霊に完全に任せきる(信)ことが先なのです。礼どおりに天を祀り、礼どおりに祖霊を祭ることが、完全に任せきったという証になるわけです。
『論語』から、そのお姿が見えないので、人間関係の信と思うのです。
完全に任せきることが、つまり孔子の無心なのです。完全に任せきる相手は、人間ではなくて、天・祖霊なのです。
天も人格を持っているし、祖霊も人格を持っているから、老子は完全に任せられなくて、さらに上位の存在である道を設定しました。
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