今日は、散歩しながら、大器の道と大物の道があって、ゴールは異なる、と考えてました。こう考えると、老子の大器晩成の意味が明らかになるなと。
大器の道は、小器にはじまり、時間がかかって大器にいたる(大器晩成)。器とは、儀式用の器であり、えらばれし器である。小さな器でもで、大きな器でも、選ばれし器なのである。オーラがあるというか、品格があるというか。
大物の道は、小物にはじまり、大物にいたる。ここでいう物とは、日用雑器で、いくら大きくても、いくら頑張っても、器にはなれないし、まずは品格がないのである。
小物から大器には、一万年たってもならないのである。
かんがえてみると、大器の道は、非私の道であり、大物の道は、自分本位の道である。
まずは、天皇陛下は大器。国民のために祈る事ひさし。
はんたいに、ト大統領は、大物。あ首相は、中物かな。
小器にはじまり、大器に至るわけであり、大器の道以外を歩いても、小器にもなれないし、大器にもなれない。
つまり、大物の道を歩めば、小物にはじまり、大物になるわけであり、小物がどうあがいても大器にはならない。
ということに気が付きました。
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