山脇東門の『東門随筆』を読むと「骨を折る」ということばが3箇所でてくる。
「後世家と称する医は、骨を折て穿鑿せざる故、其の技精細ならず」
「(福井の奥村良筑は)一体骨を折りたる者故、長じたる所には益有ること多し」
「近世にも名医と称せられたる人余多あり。…一体骨を折りたる者ゆえ、格別の事どもあり」
苦労する、突き詰める、力をつくすという意味。骨を折ることは、スポーツでいえば毎日の練習ですから、骨を折るのは当然なのです。
著作物によれば、鍼灸の名医たちも、みなさんだいぶ骨を折ったようです。その情景がみえないので、やすやすとやっているように見えます。鍼を刺す、お灸を据える、やっていることが2つしかないですから。
やすやすやっていそうなので、(学生は)やすやすできそうだと勘違いしているようです。やはり教育が大事なのだけど、教育する中身が無ければ、いかんともしがたい。中身は、現場の先生方が造りあげるしかない。かの中医学、その初めは現場の先生方が知恵を出し合って作ったとか。
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