いま、助役さんから関西電力へのワイロでおおさわぎですが、助役さんで思い出すのは、弟弟子の森川くんのお父さんです。雲仙普賢岳の噴火のときに島原市の助役さんでした。
森川くんの誘いで、長崎県鍼灸師会で講演したことがありました(刺絡と養生と2回)。その森川くんは2001年に40数歳の若さで他界しました。はじめて助役さんのお宅に伺ったのは、思い出せないのですが、何かの仕事の後で、足を伸ばしたときで、佐賀の草場さんと一緒でした。そのときは、たまたま位牌ができたということで、ご家族のかたとお線香をあげました。
翌年は1周忌、その次は3回忌と、参加してきました。2000年に島田先生、2001年に弟弟子、相次いで他界したので、気持ちの整理のために、3回も島原に行ったのです。何がしんどいといって、逝かれるのがしんどい(それからすると、誹謗、中傷、悪い噂、非難、まあどうでもいいかな)。
そのお父さんの自宅はとても質素でした。それなりの邸宅を予想していたので、その清廉さにおどろきました。おなじ助役さんでも、こんなに違うのだと思ったしだい。
森川くんの17回忌は終わったでしょう。来年にでも、お線香あげに行こうと、助役さんのニュースで思ったのです。
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