2020年7月3日金曜日

古典の現代語訳

ちかごろ、右のような、意訳本がでました。
 
 上古天真論の「上古之人、知道者」を「上古の人は自然の道理をわきまえており」というが、「道」はどうみたって『老子』のいう「道」である。自然の道理だというのは、あきらかに間違っている。

『老子』の言う「道」を知っているとは、上古の人は純粋素朴なので、「道」のことを教えてもらっただけで信用したという意味である。

 極楽浄土が有るか無いかと思うのは、不純なこころを持っているから、そう思うのであり、純粋なこころの人で有れば、極楽浄土が有るといえば、素直に有るのである。

 大昔のひとは、『老子』が道を説けば、道を素直に信じたので、100歳まで長生きしたのです。疑いを持たないことを無心ともいうのだが、大昔の人は素のままで無心だったのです。疑いを持たないで素直に信用するのを、ここでは「知」と言っているのです。

『素問』の冒頭は、奥深いので、古典の現代語訳は、とても難しいのでした。

 

 

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