葬儀にいくとき、加地伸行の『儒教とは何か』(中公新書)の「はじめに」を思い出しました。
拝むのは誰かという話で、仏教式葬式なら、本尊である。葬儀場に本尊を持ってこれないから、それに替わる「南無阿弥陀仏」「南無釈迦牟尼仏」と書いてある掛け軸でもよいのだそう。
それを拝むのであり、お坊さんでも、棺でも、位牌でも、写真でもないのだそう。島田美智子さんの葬儀では、掛け軸がなくて、困りました。しかたなく、型通りに前を向いて拝みましたが。
喪服は、親族はフルバージョンで、その他は簡易でいいのだそうです。親族は、故人を失って、着ている服を考える間もなく、おしゃれの気持ちも無いのだから、決まった喪服をきればいいのだそう。お化粧はしてはいけない。ほつれ髪ぐらいがいいのだそう。
親族以外は、それほど心を失っていないので、華美にならない程度の衣服でよいのだそうです。ネクタイを黒くしたり、黒い腕章をまいたりするぐらいで。親族でもないのに、親族と同じフルバージョンなのは、僭越にすぎるのだと言っています。
そんなことを思いだし、喪服はやめて、黒の上着と、グレーのズボンで行ってみました。
葬式の本来の意味を知ると、現代社会の風習、葬儀やさんがつくった儀式などが、意味ないことがよく分かります。
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