2021年2月23日火曜日

玄関

  昔の家なら玄関は独立していて、周りの塀と門とで、立派な家のステータス3点セットでした。この当たりの新しい建て売りだと、玄関は壁の中に組み込まれ、塀や門はありません。そんなスペースがあるなら、駐車場にしてしまいます。

 おしゃれな玄関ならば、ガラス戸で、中に趣味のバイクが飾ってあったりして、ステータスなんぞ掃き捨てました、という雰囲気です。

 最近では、コロナ対策のために、玄関内に手洗いがあったり、コートを消毒したり、掛けたり、さらなる進化形は、玄関のとなりが浴室になっていて、戸外のけがれを、戸内にはいれないぞ、という構造にしているそうです。

 タイル張りで、広くて、奥に在った、昭和のお風呂は、周回遅れとなってしまいましたねえ。五右衛門風呂を知っている人も、だいぶ少なくなってきました。

 嫁の実家では、普段の出入りは勝手口で、玄関を使うのはお客様だけでした。松本の姉の家の玄関は、クツを脱いであがるところは3枚の畳が敷いてあります。

 玄関て、いろいろなんですねえ。

2021年2月21日日曜日

弓削田醤油

  テレビで、木桶を使った醤油を作っている弓削田醤油さんが紹介されていた。埼玉の醤油屋さんです。醤油の味は、木桶だけでなく、蔵の中も味に影響し、さらには蔵の廻りの樹木も醤油の味になるといって大切にしていました。格好いいでした。

 いま木桶は絶滅が危惧され、小豆島の醤油やさんが最後の職人に教わって自ら製作しているそうです。自分たちが作った木桶が良いものなのかどうかは、孫の時代にならないと分からないといいます。若者たちの真剣さが、格好いいでした。

 たしかに、鍼灸も生業としては一代限りでも良いが、孫の時代にも役立つように、技術の伝承、学問の整備、深化を、今のうちにやっておかねばならない、と木桶の話で顧みました。僕らもかっこよくならなきゃ。

鳥の鍼灸治療

 山脇東門の『東門随筆』に、

南都の天満という所に大成(だいなる)鳥屋あり。此(この)主人、鳥の病を療(いえ)るに、毫鍼をさし、灸もすえて治する也。甚(はなはだ)上手(じょうず)成故(なるゆえ)、大坂あたりの鳥屋抔(など)より大切の鳥の療治を頼(たのむ)よし。

とある。鳥屋なら誰でもできそうであるが、そうでは無いらしい。努力だけでは、なしえないこともあるようである。ようするに、天分というものである。

 以前に、患者さんが、旦那は野鳥を飼育するのが上手だ、と話していた。野鳥を飼育するのは、誰でもできるものではないという。やはり天分なのでしょう。

 鍼灸でも、天分のある人の治療は、格別のものがあると思う。僕の後に島田先生の見習いになった〇屋さんという人は、ツボが見えると言ってました。指先に感じる人もいるらしい。こういうのも天分だろうとおもう。

 天分なのかどうかは、同じ道を歩んでみて、結果として、天分が有ればよし、天分が無かったならばあきらめるしかない。


2021年2月15日月曜日

石灯籠 壊れる

  今般の地震で、仙台の瑞鳳殿(伊達正宗の霊廟)の石灯籠100基ほどが壊れたとのこと。昼間の観光時間だったら、被害が出ていたかも。お墓も壊れたところもあるよう。お墓は別としても、石灯籠は元にもどさなくても良いのではないかと思う。観光資源かも知れないが、人的被害を考えたら、こわい。(と仙台市長になったつもりで、考えてみました)

 人間の10年は、大地の一呼吸の間とのこと。また地震がくるのでしょう。新幹線の高架も、地震のたびに破壊されて、なんだか「背伸びした人知」が揺さぶられているよう。

 これから原発の廃炉にもお金がかかるし、古くなった道路、橋の修理にもお金がかかるし、そして災害の復旧にもお金がかかるし。これまでと、これから先とでは、世の中だいぶ変わるんでしょう。

 しかし、東北地方に対する自然界の当たりが、きびしい(ような気がする)。

 

2021年2月7日日曜日

おっさん(僧侶)

  実家では、僧侶のことを「おっさん」と呼んでいました。若くても、年配でも、「おっさん」です。方言かと思っていたら、滋賀県の永源寺について書いた随筆の中に、

「ほうか、去年のオッさんも風邪ひいておいでた、永源寺さんは、ほんなに寒いかの」

とあって、滋賀県でも「おっさん」と呼ぶらしく、気になって検索してみたら、関東では言わないものの、東北、東海、関西では「おっさん」と言うようである。「和尚さん」の略称のよう。

 おそらく近所に寺院があって、地域的な交流しているときの、ご近所さんとしての親しみをこめた称び方なのでしょう。「ぼんさん」「ぼうさん」とは少し違うようですが・・・




自転車のギア

 

 ふと(毎回ですが)、息子の自転車のギアをみたら、なんと9段でした。前が3段でした。どうやって、組み合わせるんだろう。アングリ。

 僕が前に乗っていた自転車(盗まれましたが)は、後5段、前2段でした。それでも使いこなせませんでした。

 中学の時に乗っていたのは後4段のみで、それでも通学には十分間に合ってました。当時の主流は5段でしたから、父親は4段というものをどこから探してきたんだか。

 今乗っているクルマは、鍵の方式が3種類。鍵穴にカギをいれれるもの(古い)。手に持っているスイッチをオンオフするもの(一つ前の)。手元でオンオフしなくても、カギさえ持っていれば、ドアノブを握っただけでオンオフになるもの(最新の)。3つの時代をすべて遺しているという感じです。

 時代は、どんどん進んでいるんですねえ。

2021年2月1日月曜日

飛び降りるコツ

 『蕉窓雑話』は、和田東郭の座談の記録で、当時の受講生の熱心ぶりがうかがわれます。筆記録なのでしょう。先生の話を、一言も洩らさぬ、という緊張感が伝わってきます。

 「摂州高槻の鳥屋の伝に、凡て屋の上、又は岸の処などの高より拠なく飛ねばならぬことあり。其時には所詮勢いの止まらぬと云処にて、わざと屋ねの端まで走り来たりて、端に成りたる時、臍下へ気を脹り口を閉てどっと飛下る中に、今二三尺許に成たる処にて、我が体を上へ飛上る心持にかがむ時は、やはり三尺の処より飛びしわり合に成て、ふうわりと落るものにて、直に落ちたるなりにてあるかるるもの也」

 どうしても高いところから飛び降りなければならないときは、下腹に息を吸い込んで、着地の手前で、飛び上がるきもちで身体をかがめると、まるで三尺のところから下りたようになり、ふんわりと着地できて、落ちたすぐから歩き始めることができる。という。

 小学生のころ、しばしば、屋根から飛び降りたり、崖から飛び降りていました。そういえば。3メートルくらいでしょうか。こわさ知らずというか。

 このコツは、小学生の時に、聞いておきたかった。今聞いても、飛び降りられない。

 



山脇東門『東門随筆』

 山脇東門の『東門随筆』に。

 「南都の天満といふ所に大成鳥屋あり。此主人鳥の病を療るに、毫鍼をさし、灸もすへて治する也。甚上手成故、大坂あたりの鳥屋抔より大切の鳥の療治を頼よし。先年南都へ行たる時、右の鳥屋にて聞たり。是も牛馬の鍼を受るに異ならず。療道の広事、此の如きなり。」

 奈良の天満という地区に、大きな鳥屋があり、この主人は鍼と灸を使って、鳥の治療をするという。とても上手なので、大阪などの鳥屋が大切な鳥の治療を依頼しているとのこと。この話はその鳥屋で聞いた話。牛や馬の治療もおなじだと。(鍼・灸)治療はこのように広く応用できるのである。

 考えさせられる一文です。飼い主から状況を聞くだけで、ご本人からの情報は無い。そうすると触診だけで治療方針を立てるのだから、鍼灸の本源はここに有るのでしょう。

 ただし、ヒトの治療では、患者さんの心と、治療家の心が、絡んでくるので治療効果が下がりそうです。ここが、クスリと違うところです。