24日夜は、強い風が吹き荒れ、朝起きて見たら、ドアのすき間から落ち葉が入り込んでいました。寒波と、風とで、とても寒い夜でした。
25日、I先生の訃報が入りました。体力が弱まっているときは、引き潮だとか、寒波だとかは、強い影響があるのでしょう。影響力が大きな人を、また一人失いました。
失った人をみてみると、調子に乗って飲酒している人が多いような気がします。影響力が大きい人は、くれぐれも控えてほしいとねがうばかりです。
24日夜は、強い風が吹き荒れ、朝起きて見たら、ドアのすき間から落ち葉が入り込んでいました。寒波と、風とで、とても寒い夜でした。
25日、I先生の訃報が入りました。体力が弱まっているときは、引き潮だとか、寒波だとかは、強い影響があるのでしょう。影響力が大きな人を、また一人失いました。
失った人をみてみると、調子に乗って飲酒している人が多いような気がします。影響力が大きい人は、くれぐれも控えてほしいとねがうばかりです。
今朝の新聞に、バイデン氏(80)と岸田氏(65)が並んで歩いている写真が掲載されました。まえから、岸田氏が左右に触れて歩くのが気に成っていましたが、背筋がのびたバイデン氏とならぶと、明瞭です。年齢が逆ではないかとおもえるほど。
岸田氏が姿勢をおろそかにしているのと、バイデン氏が姿勢を重んじているのと、はっきり違いがでました。人は見た目じゃないのですが、一国を預けるのだから、姿勢がよく、たくましく、病気が無いのが望ましい。
水野南北の『南北相法』によれば、歩く目線は真っすぐ前、やや下がいいのだそう。これを「くろむ」といって吉相だそうです。上を向いたり、下を向いたりして歩くのは、よくない相だそうです。まるで、この写真のことを言っているみたいです。
まあ、一瞬を切り取った写真だから、これだけで断定はできないのですが。
今日は、北里の研究発表会がありました。地下鉄の白金高輪駅でおりると、動物病院にボルゾイという種類の犬が入っていきました。埼玉県では見ることができない、希少の犬種です。
おどろいたことに、ムラサキというか、ブルーというか、ピカピカの外車が何台も走っていました。イエローもありました。埼玉県ではみない色です。
駅をおりて数分で、ずいぶん違う所にきたなあ、とお上りさんになってしまいました。お店もおしゃれだし。帰りは、北里通りでチーズケーキを買ってかえりましたが、その途中は、やはりおしゃれな店がたくさんありました。
今日、「北里の医史研は3月末をもって閉鎖」と発表がありました。客員研究員になって、30年弱。みんなで協力して、いくつかの本を出しました。たいへんだと思ったことはないのですが、ふりかえると大変な山を登ったんだなあ、と懐かしい。
なぜか、古い名刺が出てきました。
郵便番号が3桁ですから、だいぶ古いものですが、客員研究員にしてもらって、うれしくて作りました。1990年代初めころだと思います。故石田秀実先生、荒木ひろし先生などが、北里の客員研究員だったので、憧れていたのです。今は、名刺を持っていません。名刺を交換する所に行かないか、行っても相手からもらうだけです。会長をやめたので、隠居的というところでしょうか。
1月の第二日曜日は研究発表会で、おそらく20年以上、連続で発表してきました。そのために、お正月気分がなく、お正月の旅行もできない状況が続いていました。くら~い、年末年始だったのですが、次回の発表を免除されたので、すがすがしい年末年始を迎えています。ようするに会長の義務だったのです。会長を退いたので、解放されたのです。いいことづくめです。
恬淡虚無の恬淡は、心静かという意味ですが、僕の場合、役職をしりぞいた結果として(一時的に)恬淡となりました。
ちなみに、恬淡は、物静か・大人しいと同義ではありません。虚無と連動するように、心の中が空っぽの結果としての恬淡なのです。何かを考え、感情をおさえながら、あるは目立たないようにと、大人しいのでは、恬淡といわないのです。
家には17段の階段があります。1日3往復したとすれば、1年で1000回往復します。建ってから20年以上も経過していますから、2万回以上も往復しています。目を開けて往復する分には恬淡ですが、目をつむると不安が出てきて、不恬淡になりますから、恬淡を維持するのは、そうとう大変なことのようです。
大燈国師(
「千峯雨霽露光冷」(千峰、雨霽(は)れて、露光冷(すさ)まじ)
「見渡す限りの山々の草木に、雨上がりの露が光り輝いている」
これに対する白隠禅師の下語(あぎょ・短評)
「君看双眼色、不語似無憂」(君、看よ双眼の色、不語は無憂に似たり)
「その目を見てごらんなさい。何も言わなければ憂いなど無いようにみえるだろう」
右の掛け軸はその下の句の「不語似無憂」と書いてあるようです。良寛が愛した句で碑にもなっていて、その拓本を購入したので、軸装してみました。
通常の解釈がなんともしっくりしないので、『老子』的に解釈してみました。
私の両眼は、雨後の山々のように、澄んでいるだろう。
私が何も語らないのは、雨後の山々が無憂(無心)なのと同じである。
(過去のいろいろなことは、雨に流されてしまったさ。)
大燈国師は禅僧。京都で乞食同然の生活をしていたが、花園天皇の帰依をうけて、大徳寺の開山となった。
至道無難禅師とは、江戸時代の臨済宗の僧侶。白隠禅師の法祖父にあたるという。これを辻双明老師(1903~1991)が解説したものが、テープに記録されており、起稿し、ワープロ印字して、本の体裁にしたもの。外字はなんと手書き。老師には、いくつか著書があるようだが、検索しても、この本は出てこない。
老師の死後にテープから起稿したようで、それでも難解な用語を間違わずに起こしています。起稿者の熱心さがにじみ出てきます。たいした体裁ではないのですが、いいほんです。体裁がいいのは、編集者がやるので、上手さが出るだけなのです。
奥付がないので、出版に関する情報はほとんどなし。おそらく、製本して、聴講者や、縁のある人に頒布したのだと思います。全何巻かわからないけど、3巻分だけあるのです。