2018年5月7日月曜日

山を平らに歩く

 近年、イノシシやシカが増えて、農業に大きな被害が出ているとのこと。原因の1つに、高齢による猟師の引退があるそうです。同時に、後継者難と。では、若者に免許を取らせて、猟師を育成すれば良いではないかと思うのだが、1つの関門があるそうだ。

 それは「山を平らに歩く」ことだそうです。どんなに起伏があっても、平地のように軽々と歩けなければ、猟師にはなれないのだそうです。山を平らに歩くには、やはり若い時からの不断の訓練が必要で、定年退職して時間ができたから猟師をやろう、とは行かないのです。

 中国医学古典では、すでにある『内経』以来の文献のほかに、出土文物というモノが追加されているから、研究の守備範囲はだいぶ広くなっている。それに追いつくには体力がいるが、その体力を鍛えていないので、遠ざかっていくのを見送るしかない。

 中国医学古典を勉強するには、「古典を平らに歩く」という体力が求められる。その代表が、医古文学であるし、内経学である。この意味でも、「内経学」の確立は、急務だなあ。



鈴木大拙『東洋的な見方』

 岩波文庫の『東洋的な見方』は、いくつかの短い文章の集まりです。読むごとに、印象的な文章が異なるのが、自分では面白い。何度も読んでいるのですが・・

 以前には、禅に関する文章をよく読んでいたが、いまは浄土にかんする文章が面白い。印象をいえば、『老子』と浄土と、『荘子』と禅とが、一脈通じているようである。今とりくんでいるのが『老子』なので、自然と浄土に手がゆくのです。

『荘子』は、森共之先生が、「されば。老子と論語とは平易也。孟子と荘子の書は険詖也」というのが頭に残っていて、読んでいて面白いけど、手を出さないことにしている。

 険詖(けんぴ)とは、心がねじけて、よこしまなこと。性質が陰険で邪悪なこと。共之先生の批評はだいぶ厳しい。共之先生に言わせれば、老子は余計な知識、言葉は無用というのに、ムダにお喋りしている荘子は、いかにも老子の考えを踏まえていそうだが、老子の後継者じゃないのである。

 今回は、『東洋的な見方』「自力と他力」が心にしみました。こういうのが読めるようになったのも、嬉しいでした。

2018年5月3日木曜日

私利私欲・自己顕示欲

 自分の知識のために、自分の臨床にために、古典をよむ。それで完結しておきたいのはやまやまなのですが、冷静にみれば、それは私利私欲であり、『老子』をよむ者失格なのです。しかし、自分を顕示したり、手柄話らしく誇ることは、同じく『老子』をよむ者失格なのです。

 こんなことを考えて悶々しているわけなのですが、今、『医道の日本』に連載しているのは、『老子』にどう向き合うか、の試みなのです。私利私欲なのか、自己顕示欲なのか。

 専門家でもない者が、わかった風で古典解説するのはどうなのか。しかし、踏み込んで読んでいるのだから、専門家でなくても発表しても良いのではないか。発表した内容に対する、批判、批評がこわいかも知れない。

 かりに自分が発表したものが仕様もないだとしても、それが切っ掛けで良いものが生まれるならば、結果オーライなわけです。このように悶々した結果、『医道の日本』に発表しています。悶々したお蔭で、ふっきれたのです(いっときですが)。

 

 

2018年5月1日火曜日

『内経』を読み解く鍵は、血気、脈だ。

 昨日は、黄龍祥先生を招いての講演会、シンポジウムが行われました。先生は、長年の『内経』の研究から、『内経』を読み解く鍵は、血気、脈だ、と宣言しました。

 会場から、先生のおっしゃることは、九鍼十二原篇の「粗は形を守り、上は神を守る」と同義なのですか、という質問があり、黄先生は、その通りだ、とおっしゃった。

 しかし、質問者の意図と、黄先生の含意が、よく分かりませんでした。

「粗は形を守り、上は神を守る」にひとこと。

 九鍼十二原篇は、兵家思想を基盤にして書かれている。(この前提で読むと)「粗は形を守り」、粗工は、兵隊の数とか陣形といった現象(形)を観察する。「上は神を守る」は、上工は、この戦いの神気を観察する。

 サッカーの試合でいえば、先発メンバーのことや、向こうの作戦ばかりを重視する監督は、粗工である。勝ち負けは、一つのパスミスや、1人の戦意喪失で決まることが多い。これを神気を失うといいます。1人の果敢なプレー、タイミングの良い選手交代によって、戦局が逆転することもある。これを神気を得るという。このことを、上工は神を守るというのだとおもいます。

 神を訳せば、勝ち負けの転機でしょうか。病気が治るか、治らないか、その転機のことを神と言うのです。そうすると、気や血という問題ではないのですが。

2018年4月24日火曜日

和田東郭『蕉窓雑話』

 和田東郭、『蕉窓雑話』を知らなければ、漢方界ではもぐりと言われるほど、著明な名著なのですが、鍼灸界では、知る人稀なる名著なのです。

 東京衛生学園臨床専攻科第10期の生徒達と勉強会を始めることになり、題材を『蕉窓雑話』にしました。勉強会は自然に消滅しましたが、とても勉強になりました。個人的にでも、全体の半分も読み終わっていないでしょう。いつか、きちんと読みたい名著です。

「常々、手心(たなごころ)に熱ある医は、得て人の体に熱もなきを、熱ある如く思ふことあるもの也。かやうなる人は、つねに心得て手背にて熱のもようを候べし」

 ぼくも手背で皮膚の熱と冷えを診るうかがう習慣になっていますが、200年も前に開発されていまようです。早い段階で、この本を読んでおくべきでした。

「身柱の穴に灸すれば・・・心下をひらく也」
 心下痞硬の治療には身柱は欠かせないということです。(ただし身柱固定ではなく、身柱以下筋縮当たりまでが対応しますが。反応次第)。身柱は、小児治療には欠かせませんが、小児の病気のおおむねは胸が痞えていると予想できます。心下痞硬は、叩打診で簡単にみつかります。

 ちょっと拾っただけで、とても勉強になるのが、『蕉窓雑話』なのです。和田先生が、合理主義者なので、説明がとても分かりやすいのです。たっぷり時間をとって読みたい名著なのです。



2018年4月16日月曜日

森共之『老子国語解』三校終了

 森共之(森立之の祖父)の講義録『老子国語解』。データ入力は、一昨年末で終了し、昨年まるまる、そして今年と校正作業を継続中。今日で3回目終了。A4版で170ページもある力作で、内容が濃いので、校正しながら読み、読みながら校正しと、足ふみふみしながら、本日終わりました。

 校正作業は、ムダな作業のようなので、好きなのです。ムダな作業が嫌いな人もいますから、おすすめしません。タケシは、「ばかじゃないのか」と言われるのが、いちばん嬉しいそうです。お笑い芸人は、笑われてナンボですからね。

 『老子経国字解』は、『老子』研究30年の成果だそうです。僕みたいにダラダラ研究ではなくて、根を詰めての研究ですから、深耕ぶりには、頭が下がります。共之は、代々の鍼師で、鍼治療には無心が欠かせないとのことで、『老子』を研究したのです。気合い入ってます。

 無心については、『医道の日本』で、先月号から始まった『素問』上古天真論の解説で取り上げていますから、興味がある人は読んでください。森共之先生に怒られそうな内容ですが・・・

 

2018年4月2日月曜日

日曜講座

 日本内経医学会の第2日曜日開催の日曜講座は、原宿(区民会館)→新大久保(東洋鍼灸専門学校)→大森(鷲会館)→早稲田(日本医学柔整専門学校)と遍歴し、今年度から港区白金の北里大学薬学部に移ります(4月8日)。

 北里大学附属北里研究所は、小曽戸先生がひきいる医史学の本丸があります。日本内経医学会が設立して30年、そこで日曜講座ができるのですから、まことに慶賀事なのです。といって、慶賀と浮かれている場合ではなく、これを機に、『内経』を一層深化し、鍼灸医学をさらに進化させようではありませんか。