2017年6月5日月曜日

スズキくん

 昨日、I先生が言う。「やんなっちゃうよ。鍼灸の学生に授業すると、半分が寝ているんだ。医大生に授業すれば、活発に質問が出るのに。やんなっちゃうよ」

 必死さとか、緊迫感とか、雲泥の差なんですね。どうしたものやら。

 テニスを始めていた島田先生とテニスができたらいいなと思って、20年ほど前からテニスのスクールに通っています。スクールに行き始めてまもなく、島田先生が亡くなったので、夢は実現しませんでしたが。

 週2回通っていて、金曜日のクラスは、僕だけがおじさんで、あとは20代~30代の若者だけである。その中でも、高校生の時の3年間と、大学卒業後の5~6年間、同席しているスズキくんとは、長いつきあいです。彼は強打の持ち主で、おじさんといえども遠慮してこない。ついていくのがやっとの状態。少しは手加減してくれればいいのにと思うけど、手加減してくれないのも嬉しい。

 手加減しないのは、彼の誠実さの現れだと思う。その誠実さに応えるために、僕も誠実にならなければならない。では、どうしたら誠実さを現すことができるか。時間がかかりましたが、ベストな体調でレッスンに参加すること、上手くいかなくても一生懸命プレイすること、という結論に達しました。当たり前のことですが、体で分かるまで時間がかかりました。

 僕もI先生と同じように、学生にがっかりすることがあります。結論としては「誠実さ」の教育が必要でしょうか。そこで想起されるのが、伊藤仁斎先生、後藤艮山先生です。もし道徳の授業が設定されるならば、両先生の教えを第一にしたいと思います。

 ほんとに、基本のキからはじめなければならないのが、現在の鍼灸界の状況なのかも知れません。

 

2017年6月1日木曜日

あるインド料理人の文章

 あるインド料理人(日本人)の文章を引用します。われら鍼灸人も、これぐらいの覚悟がほしいものだ。他のジャンルの人は、このようにしてはい上がっているんだな、ととても感心しました。

「インド料理人を志す者にとって、現地を食べ歩くことは最善の修行法である」というのは日本のインド料理創生期を生きた大先輩の言葉。それに倣って僕も現地の味を何度も体験に行きました。旅というと楽しく聞こえますが、僕の場合は一食もムダにしないためのストイックな努力を重ねる地味な修行、戦いのようです。
 カリーがおいしくなかったとか期待はずれだとか、そんなものは序の口。何より辛いのが、腹を壊したときの敗北感です。カリーで腹を壊すと、匂いすら嫌になります。不断あんなに食べてるのが信じられないくらい。インドって、空気がカリーの匂いなんです。カリー味の食べ物しかない。カリー天国が途端にカリー地獄にみえてきます。本来、それを望んで来たのにと思いながらも外にも出られず、ベットに仰向けになり、回るファンを虚ろな目で見上げながら圧倒的な敗北感に浸ることになります。何か胃に入れて元気にならないと・・・。


2017年5月29日月曜日

白髪をそめる

 今は便利なもので、画像を検索すれば、新しいのから古いのまで、いろいろ出てくる。有名人であれば、若いときの写真から、現在の写真まで出てきますから、うかうか整形もできません。

 秋篠宮は、若いときから白髪まじりで、中年になって真っ白だったけれど、とても颯爽としていました。白髪なのに若々しい。と思っていたら、数年前に染めて真っ黒になりました。そしたら、なんだか老け込んだ雰囲気で、勢いがない。老け込んだので、染めたのか。染めたから、老け込んだのか。

 皇室だからというわけではないけど、日本の象徴として、自然のままでいてほしい。作為のないすがたをみせてほしい(良い天気なので、さわやかに思ってみました)。天上の人は天のごとくに。

 
 

2017年5月27日土曜日

道具の美


 韓国製の茶筅が売っていたので、買ってみました。左が日本製。右が韓国製。日本製は、何度もつかっているモノですが、穂先がそろっていてきれいです。韓国製は、1度つかったら、穂先がみだれ、しっちゃかめっちゃかです。素人が使うには、どちらでも差がないし、ネットでしらべてみると、どちらでたてても、お茶の味は同じだそうですから、「なにか問題ありますか?」と言われそう。
 
お抹茶文化は、約千年ほど前に中国から伝えられ、工夫に工夫を重ねて、現在にいたっています。お抹茶文化がすたれずに、現在進行形であるというのが、きちんとした茶筅が残っている理由だと思います。韓国製は、日本の需要に応ずるように、にわかに作りはじめたのかも知れません。

 用が足りていればそれでいいのか。さらに使い勝手、美しさまで追求するのか。この当たりが、韓国製と日本製の違いなのではないでしょうか。

 鍼具も同じかな。現在は、工場生産の鍼が表舞台に立ち、手製の鍼はまるっきり陽の目をみていない。どちらでも治療効果は同じだとしても、おそらく茶筅のような差があるに違いない。そんなこんなで、また、手製の鍼を使ってみようかな、と思ったしだい。

 


 

2017年5月20日土曜日

養生の実践

 毎年この時期は、東京衛生学園臨床専攻科2年生に対し、午前の2コマ、『内経』をテーマにした講義をしていて、本日で終わりました。
 
 生徒は、おおむね、体調不良です。眠い、疲れている、肩が凝っている、腰が痛い。体調不良のまま、学習しようとしているので、成果はあがらないと思います。体調不良で試合に臨むのですから、負けるのは見えています。授業に出ることに、真剣さが足りないのでしょう。(学生時代をふり返ってみても、自分もそうだったから、人のことはいえないのですが。)

『素問』上古天真論篇は、治療家に向けて発信した養生篇で、「治療家は天寿を全うする聖人たれ」と述べています。こころとからだが健康であって、はじめて十全の治療ができるのだ、と。

 健康をテーマにしている学校の生徒が、不健康なのです。よく考えたら、これは問題です(よく考えなくても)。養成段階できちんと教育指導しなければならない、最も重要な事項だろうと確信した次第です。伝統鍼灸大学では、「養生の実戦」という教科を置き、必須科目で、毎日1コマ必要だと思いました。「どのようなことを実戦するのか」。考えるだけでも、わくわくします。


2017年5月8日月曜日

 正直・誠実

 かつては、かつ丼、おやこ丼、開化丼は、おそば屋さんで食べていました。
 かつては、そのおそば屋さんは、出前をしてくれました。
 しかし、カツ丼があって、出前をしてくれるおそば屋さんは、ほぼ亡くなりました。今残っているおそば屋さんは、味にこだわった本格的なおそば屋さんです。

 高校生のとき、父親に、学校の帰り道に、塩竃市の丹六園で、お茶を買ってこいとよく頼まれました。丹六園は老舗然として、大人の世界に満ちていました。今のその店舗はありますが、お茶は販売していなくて、「しほがま」という和菓子と、茶器を売っています。塩竃にはもう一軒老舗がありましたが、かなり前に閉店しています。かつては、盛業を誇ったお茶屋さんは、いまは風前のともしび。このブログでも紹介しましたが、急須で淹れるお茶っぱを生産する農家は、じり貧状態のようです。

「鍼灸はじり貧だ」というのが、5月4日の成城セミナーのテーマでした。本当にじり貧なのかどうか。困るような状況にならないと気がつかないかも知れません。そもそも、未病という智慧があるのに、鍼灸界が未病にきづかないでいるのですから、お先がみえてますよね。
 
 『論語』雍也篇「人の生くるは、直なればなり。これを罔(な)くして生くるは、幸いにして免れしなり」。人生は、正直第一とする。正直が無くて生きているのは、運良く免れているだけだ。医者は正直・誠実たれ、と言ったのは後藤艮山、香川修庵、藤井秀孟ら。彼らの言を今一度、読み返すときなのかも知れない。


2017年5月5日金曜日

ゆずのばかやろ18年


 自宅の2階のまどから、歩道を撮ってみました。下の花は、壁に沿わせている、木香ばらです。この時期、満開です。歩道は、自転車と人の道に分かれています。いま、自転車は中途半端で、車道を走るか、歩道を走るかで、迷っている。この幹線は、40年以上も前に出来たものだが、その先見性に感心しています。

 真ん中のベルト地帯は、ドウダンツツジで、秋に紅葉します。ツツジの右はケヤキで、埼玉県の県木です。20年程前は、枝が広がりたくさんの葉がしげり、秋になると枯れ葉がまい散ってました。隣の駐車場で、焼き芋大会ができました。その後は、その枯れ葉が憎い人がいるんでしょうか、枯葉になる前に、市の委託業者が来て、枝毎ばっさり切ってしまって、けやきは、悲惨な樹形になってしまっています。

 左は、夏みかんです。子どもが小さいとき、夏みかんの種を蒔いたら、幸いに芽がでて、植木屋さんの温かいこころざしで(引っこ抜かれずに)、生き延びて30年近くになると思います。しかしまだ、実が成りません。

 ももくり3年、かき8年、ゆずのばかやろ18年、とはいいますが、おなじみかんの仲間なのに、この子は、だいぶ遅いようです。早く成果が出るひと、中々成果がでないひと、結局結果がでなかったひと。いろいろいて、競争するものではないなあと、夏みかんをみて学習しました。

 ももくりタイプは、どんどん先に行っていただき、ゆずタイプの人は、コツコツ行きましょう。せいくらべはやめましょう。

 いちばん上は、車道との境で、さつきが咲いています。