君子は、博く文を学び、之れを約するに礼を以てせば、また以て畔(そむ)かざるか。
孔子の塾では、学ぶことが奨励されている。これは、現在の私たちも同様で、学校で学ぶだけでなく、あらゆる情報が津波のように押し寄せてくる。そのとき、それらの知識や情報を、要約するルールがなければ、支離滅裂、てんでんばらばら、収拾が付かなくなる。
格好の例が、鍼灸の治療。言い換えれば、先生の数だけ流派があるようなもので、たくさん学んでも、要約できないのであれば、あまり役立たないような気がする。
さて、どんなルールで、鍼灸術を要約すればよいのだろうか。それが「礼」だとすれば『論語』を、それが「自然」だとすれば『老子』を、それが、「陰陽五行」だというならば、『内経』を、読まねばならない。そういう意味では、古典は、欠くべからざる至宝なのである。
一番大事なところを粗略にして、技術ばかりに心を捕らわれていては、まるで砂上楼閣のようで、危ういのではないか。
2012年11月21日水曜日
2012年11月11日日曜日
野武士
50歳の前の島田隆司先生は、もみあげを長くしていたので、黒い顏と合わせて、野武士のようでした。野武士と評したのは、四世神戸源蔵師。
50歳を過ぎたころから、もみあげを剃り、たまには髪にパーマを当てたりして、イメージがだいぶ変わりました。どんな理由でそうしたのか、聞かなかったのが、残念です。
さらに、初孫が生まれたころからは、表情が柔和になり、昔の面影は無くなりました。
『島田隆司論文集』をお持ちの方は、かかれた年代と、そのときの風貌を対比させながら読んでみて下さい。
書かれた文章の向こうの、書き手を思いながら読むことは、古典も同じかと思います。ただ字面を追うのではない。そういう意味では、『論語』は一級品。
50歳を過ぎたころから、もみあげを剃り、たまには髪にパーマを当てたりして、イメージがだいぶ変わりました。どんな理由でそうしたのか、聞かなかったのが、残念です。
さらに、初孫が生まれたころからは、表情が柔和になり、昔の面影は無くなりました。
『島田隆司論文集』をお持ちの方は、かかれた年代と、そのときの風貌を対比させながら読んでみて下さい。
書かれた文章の向こうの、書き手を思いながら読むことは、古典も同じかと思います。ただ字面を追うのではない。そういう意味では、『論語』は一級品。
2012年10月31日水曜日
ネコのツメ
患者さんのはなし:
飼っているネコが、歩き方がよぼよぼで、目やにもたまって、だいぶ老け込んだなあ、と思っていた。あるとき、そのネコの足をみたら、爪が伸びて肉球に刺さっていたようなので、獣医さんに爪を切ってもらった。2週間もしたら、歩き方がしゃきっとして、目やにもなくなり、若々しくなった、とのこと。
考えさせられるエピソードでした。
「根本的な問題が解決すると、諸々の問題はほどけていく」
「老化という概念に捕らわれると、何でも老化になる」
飼っているネコが、歩き方がよぼよぼで、目やにもたまって、だいぶ老け込んだなあ、と思っていた。あるとき、そのネコの足をみたら、爪が伸びて肉球に刺さっていたようなので、獣医さんに爪を切ってもらった。2週間もしたら、歩き方がしゃきっとして、目やにもなくなり、若々しくなった、とのこと。
考えさせられるエピソードでした。
「根本的な問題が解決すると、諸々の問題はほどけていく」
「老化という概念に捕らわれると、何でも老化になる」
2012年10月15日月曜日
機心(その2)
鈴木大拙の『東洋的な見方』(岩波文庫)の3度目の挑戦。1度目は、意味がわからず、撃沈。2度目は数年前に、おもしろみがわかり、ようやく読破。今回は、本箱を整理したら出てきたので、挑戦というところ。
機心について、「機心ということ」のほかに、「創造の自由-荘子の一説」に、2回も取り上げている。前回読んだ時には、あまり印象的ではなかった機心が、今回は、キラキラして見えた。
機心を訳して「はからいのある心」といい、利害得失に夢中にならしむる、という。なんと、的を射た解説だろう。金谷治(岩波文庫訳注)は、「からくり心」と訳したけど、ちょっとわかりにくい。
臨床のとき、古典を読むときは、せめて機心を無くしたいところ。『論語』為政篇にいうところの「思無邪」(思いよこしま無し)、吉川幸次郎は、「感情の純粋さ」と訳した、このことばと一脈通じているような気がする。
古典は、ちょっとした文章に味わいの深さがあって、そこに到達するところが楽しみなのかもしれない。
機心について、「機心ということ」のほかに、「創造の自由-荘子の一説」に、2回も取り上げている。前回読んだ時には、あまり印象的ではなかった機心が、今回は、キラキラして見えた。
機心を訳して「はからいのある心」といい、利害得失に夢中にならしむる、という。なんと、的を射た解説だろう。金谷治(岩波文庫訳注)は、「からくり心」と訳したけど、ちょっとわかりにくい。
臨床のとき、古典を読むときは、せめて機心を無くしたいところ。『論語』為政篇にいうところの「思無邪」(思いよこしま無し)、吉川幸次郎は、「感情の純粋さ」と訳した、このことばと一脈通じているような気がする。
古典は、ちょっとした文章に味わいの深さがあって、そこに到達するところが楽しみなのかもしれない。
2012年10月9日火曜日
樸(あらき)の人
昭和58年(1983)の4月に原塾が始まったが、その打ち合わせとして前年の暮れに、島田治療院に井上雅文先生が来られた。そのときが、『脈状診の研究』の著者、雲上の人との初見だと思う。翌年に原塾が始まって受講生になり、講義の帰りに先生と幾人かとスターリングシルバーという花屋兼飲み屋にたちより、いろいろな話をうかがった。
記憶に残っているところでは、普段は入浴しないとおっしゃる。数日かに一回入るだけだと(定かではないが、一週間に一回)。蓬髪というのだろうか、頭髪はボウボウで、といっても悪臭、異臭がするわけでもない。
かばんは、いつも紙袋でした。おされな鞄でなく、高級品の鞄でもなく。着るものも素っ気ない。
頭脳に反して、無頓着で、人の目を気にしない。上下そろって様子がよく、わざとらしさがない、 ピカ一の樸(あらき)の人でした。
2012年9月18日火曜日
機心
「荘子」天地篇のはなし。ひとりの老人が、井戸から水をくんで畑に水をまいていたところに、孔子の弟子の子貢が通りかかり、井戸から水をくみ上げる「はねつるべ」とい機械があれば、もっと楽に、効率的に、水まきがはかどると教えた。けれど、老人、「はねつるべ」という機械は知っているが、機械にたよると機心が生まれ、機心が生まれると、こころの純白さが無くなる。だから、それは使わないと言った。
井戸のくみ上げを機械に任せれば、井戸の様子を観察しなくなる。水位はどうか、水質に変化はないか。さらに、くみ上げる方の健康状態まで関わってくる。このような純粋な観察があって、くみ上げが成り立っているわけである。それを機械まかせにしてしまえば、もっとも大切なところを無視し、こころの純白さが無くなる、というわけである。
鍼灸治療にマニュアルがあるとすれば、まさにこのエピソードに該当する。胃が痛いのには足三里。腰痛には委中。形式通りの治療。そこには、身体を観察するという基本が抜けている。鍼灸治療は、原則的には、人にたよらない、理論にたよらないで、自らの観察から始まる。そういう意味では、とても自由な職業だと、つくづく思う。学ぶ者は、まず最初に、ここに気づくといいのだが。
井戸のくみ上げを機械に任せれば、井戸の様子を観察しなくなる。水位はどうか、水質に変化はないか。さらに、くみ上げる方の健康状態まで関わってくる。このような純粋な観察があって、くみ上げが成り立っているわけである。それを機械まかせにしてしまえば、もっとも大切なところを無視し、こころの純白さが無くなる、というわけである。
鍼灸治療にマニュアルがあるとすれば、まさにこのエピソードに該当する。胃が痛いのには足三里。腰痛には委中。形式通りの治療。そこには、身体を観察するという基本が抜けている。鍼灸治療は、原則的には、人にたよらない、理論にたよらないで、自らの観察から始まる。そういう意味では、とても自由な職業だと、つくづく思う。学ぶ者は、まず最初に、ここに気づくといいのだが。
2012年9月10日月曜日
13回忌
昨日は、島田隆司先生の13回忌ということで、島田家と会食しました。奥様も元気でした(というより溢れてました。というより以前のままでした)。合計10名。
場所は、南千住のうなぎ屋・尾花の予定でしたが、予約不可ということで、浅草のうなぎ屋・前川になりました。眺めは一流、うなぎは三流というところでしょうか。まどの外に、隅田川とスカイツリー、青い空、入道雲。うなぎ代は、景色代込みか。
あの日。8月10日の水曜日。金古さんから電話が入り、亡くなったと。夕方、病院に駆けつけました。どうしてそうしたのか、脚に触れ、ひかがみがまだ温かいのを確認し、まだ生きているんだと、なぜか安心。帰宅してからは、電話、ファックスで、四方八方に連絡しました。
まるで、昨日のことのように思い出しました。
場所は、南千住のうなぎ屋・尾花の予定でしたが、予約不可ということで、浅草のうなぎ屋・前川になりました。眺めは一流、うなぎは三流というところでしょうか。まどの外に、隅田川とスカイツリー、青い空、入道雲。うなぎ代は、景色代込みか。
あの日。8月10日の水曜日。金古さんから電話が入り、亡くなったと。夕方、病院に駆けつけました。どうしてそうしたのか、脚に触れ、ひかがみがまだ温かいのを確認し、まだ生きているんだと、なぜか安心。帰宅してからは、電話、ファックスで、四方八方に連絡しました。
まるで、昨日のことのように思い出しました。
登録:
投稿 (Atom)