2024年5月29日水曜日

石神井川

  石神井川は、練馬区から北区王子を経て、墨田川に注ぎこみます。鯉らしき魚が泳いでいましたので、写真をとりました。10匹くらいはいたでしょうか。

 大きさは60~70センチはあろうかと。お腹周りもふと目で。

 水清くして魚住まず。まさに水濁りて魚住む。


2024年5月25日土曜日

お相撲

 今場所も、怪我人が多くて、休場者も多い。とくに上位陣に休まれると、興ざめ。真打が休んで、二つ目・前座で高座を盛り上げている感じ。琴桜は、現在は最上位だけど、照ノ富士にはかなわない。しばらくは圧倒的な強さが居ないという中でのお相撲だねえ。メジャーで通用しなかった筒香が、日本に帰ってきて活躍しているような、複雑な気分。

 解説の舞の海さんが、7~8割の力で稽古しているから、本場所で10割になったときに、2~3割無理することになる。その無理が、けがに繋がるのだと言っていました。

 仮に腰痛で休場したとして、寝て休んでいては、体力も落ちるだろうから、痛いながらも稽古はしているんでしょうね。素人テニスでも、1週間も休むとからだがなまってしまうのですから。

2024年5月19日日曜日

『チベット旅行記』

 黄檗僧の河口慧海(1866~1945)著。東洋鍼灸専門学校在学当時の、島田隆司先生の推薦図書。今から40年以上も前のこと。いつかは読む、というつもりか、40年以上も架蔵されたままでした。この度、ようやく読み始めました。残り5分の1。チベット脱出というクライマックスを迎えました。

 手元の本は白水社発行。講談社学術文庫のものもある。さらに青空文庫からデータ公開もあり、それでも読むことができる。

 明治30年(1897)に神戸を出発し(32歳)、チベットに入るまで3年かかったという。当時のチベットは、他国人の入国を禁じていたので、要するに密入国であり、正式の道をたどらなかったために、ハラハラ、ドキドキとなった旅行記です。雪解け水の川を渡ったり、岩の間に寝たり、雪の中に寝たり。旅行記というより、冒険小説のよう。なので、小さい字で、二段組で、はなはだ読みにくいが、ぐいぐい読み進むことができる。

 どんな困難な場面に在ろうとも戒律を破らない、徹底した仏教者である。比較するわけではないが、千日回峰行の厳しさにも通じている。

 今、こうして読んでいると、40数年は本書をよむ準備期間だったかと思う。ありがたし。

2024年5月9日木曜日

お灸の学校

 5日・6日と、4時間ずつの講義を無事終了。普段、4時間をしゃべることはないので、声はガラガラ。普段と違う動きなので、体はへとへと。両日ともに、9時間以上寝ました。よく考えたら、68歳には、ちょっと無茶だったのかも知れません。

 それでも、今持っている知識と経験を出し切るには、4時間は必要だったと思います。何気なくやっている治療という行為を、ことばで伝えることがなんと難しいことか。

 同じことは、古典でもいえるのです。2000年前の治療を、漢字で伝えようとしたのが『内経』なのだと。いまごろ、こういうことに気づくのですから、遅咲きというか・・

2024年5月2日木曜日

奥田謙蔵先生

 奥田謙蔵先生(1884~1961)は、漢方の大家で、古典研究の第一人者。という程度の認識でしたが、弟子の藤平健先生の「嗚呼奥田先生」(『百味箪笥』)を読んで、一度、お会いしたかったなあ、と思った次第。

「先生のおそばにいると、何となく温かい。」「先生に接していると、兎に角温かいのである。」「先生は極端に欲が少なく、かつ万事に控目な御性格であった。」「先生はお怒りになるという事がなかったし、愚痴というものをこぼされるのを聞いた事もない。」

 こうしたコメント読んでみると、『論語』学而篇の「夫子、温良恭倹譲」という句を思い出す。孔子は、温(おだやか)・良(すなお)・恭(うやうやしく)・倹(つつましく)・譲(ひかえめ)だという。孔子と奥田先生はまるっきりおなじ。過去の人では、伊藤仁斎も近いと思われる。

 文字で読むとわかった気にはなるが、お会いたり、講義を聞いたりするのが何より。あとは、お書きになった文章を読むしかないか・・