魚川裕司著『仏教思想のゼロポイント』から、(『医道の日本』の連載の)ちょっとしたヒントを得ました。その文章は、下のようなものです。
・日本では、大乗仏教の影響で、「悟り」といえば円満な人格完成者としての仏の悟りのイメージが強いから、解脱・涅槃を証得した人は、同時に世俗的な意味でも非の打ちところのない善人となり、いまた日常の振る舞いにも拙いところは全くなくなるはずだと、考えている人は多いかもしれない。
・実際、瞑想の実践者で、長く修行して一定の境地に達した人でも、社会的な意味で、「優れて」いて「役に立つ」人物であるかどうかというのは、結局のところ、その人の元々の性格や能力、そして「物語の中で上手に機能する」ために意識的に行ってきた訓練の度合に、依存することがほとんどである。
たしかに、あの坊さん世間とずれてるな、あの坊さん素っ気ないな、あの坊さん愛想よくないな、などと批判的にみてました。どっぷり影響受けてました。反省。
そうしてみれば、鍼灸師も同じかも知れません。著明な鍼灸師ならば、有能だけでなく、善人であり、知性も豊かであらねばと思っていました。これから、あれこれ求めるのをやめて、有能だけで佳しとしましょう。
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