2016年9月14日水曜日

党ということ

沢庵『老子講義』

「ほぼ道を知れる人一人有って、其れに人がなびきしたがうと、もはや其の一流が立つなり。」

 道を知った優れた人が生まれると、廻りに人が集まって、一つのグループができる。このことは自然のながれである。がしかし、グループをむさぼり執着して、反って道を忘れてしまい、その優れた人は俗化してしまう。

 臨床に長けて、技術が優れていると、一つの流派ができる。さらに、講習会などを開いて、広めたいとおもう。そこで、会費が発生し、お金の問題が浮上する。それに伴い、人間関係が悪化する。
 
 島田先生に、こういうことを強く誡められた。だから、お金の問題が発生しないように、会費はできるだけ安く、一人の流派にならないように、技術の講習会はしない、と。

 「一段又よき人なれば、斯様に党の立たぬようにすべきなり。斯様に一流立って党が出来る時は、其の中に自然に悪しき事が出るものなり。」

 よく道を知った人ならば、あえてグループを作らない。なぜなら、グループを作ると、その中から「悪」が生まれるからだという。

 富山市議の不正は、まさにこの通り。かりにグループを参加したとしても、それに拘束されずに、各自自由意志を持ち、各自冷静な判断をすべきだとおもう。

 勉強会なり、学会なり、ひとつの会派ができたら、「悪」が生まれやすい、ということは肝に銘じておきたい。




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