沢庵、森共之が、『老子』を読むときのテキストにしたのが『老子鬳斎口義』(けんさいくぎ)で、それが届きました。よめる訳ではないのですが、テキストを共有したというだけで、にやけているところです。
宋・林希逸の著した『老子口義』、書斎名を採って『鬳斎口義』といいます。『老子』を儒教と関連づけるところに特長があり、江戸時代に最も流行した『老子』注本とのこと。沢庵も森共之も、「孔子と老子は違いがないのだ」というのは、林希逸の影響もあるようだ。そもそも、区別が無いというのが、老子の唱えるところであるから、儒教寄りと言っても、なにも問題はない。反って老子一色のほうが、老子的ではないかも知れない
。
2017年6月29日木曜日
2017年6月19日月曜日
五級
島田先生の患者さんで、藤木松調さんという書家が、『友筆』という同人誌を刊行していて、岐阜の左合さんと僕が、短いながら文章を寄せていた。その平成12年3月号が、ふと出てきた。今から、17年前で、44歳の時のもの。
連載は、「『説文』のはなし」というタイトルで、第84回を数えている。毎月の刊行だから、7年ほど前から書いていることになる。というと、37歳から連載をはじめたのか。
僕の父親は、筆で書くのが好きで、年賀状を筆で書いたり、頼まれて賞状書きもしたりして、その影響かもしれないけど、いつかは書道を習ってみたいと思って、藤木松調さんに指導してもらうことにした。ふと出てきたその『友筆』には、塾生のランキングがあって、一般楷書部の五級にぼくの名前があり、なつかしくなりました。
藤木先生は病没してしまったので、書道はこれきりになりました。平成11年に新築された白金の北里研究所病院に入院されたので、平成12年からまもなくのことだろうと思います。
日本内経医学会の機関誌の元のタイトル文字を書いたのが藤木松調先生です。

連載は、「『説文』のはなし」というタイトルで、第84回を数えている。毎月の刊行だから、7年ほど前から書いていることになる。というと、37歳から連載をはじめたのか。
僕の父親は、筆で書くのが好きで、年賀状を筆で書いたり、頼まれて賞状書きもしたりして、その影響かもしれないけど、いつかは書道を習ってみたいと思って、藤木松調さんに指導してもらうことにした。ふと出てきたその『友筆』には、塾生のランキングがあって、一般楷書部の五級にぼくの名前があり、なつかしくなりました。
藤木先生は病没してしまったので、書道はこれきりになりました。平成11年に新築された白金の北里研究所病院に入院されたので、平成12年からまもなくのことだろうと思います。
日本内経医学会の機関誌の元のタイトル文字を書いたのが藤木松調先生です。

食養生
食養生といえば、たいてい、何を食べる、何を飲む、という議論になるが、もっと重要なことがらが、たくさんある。摂取する分量。摂取する時間。好き嫌い。合う合わない。いろいろ掘り下げたいことがある。
体験的なことをいえば、食べ物の質より、量の加減が難しい。さらに、何が良いとか悪いとかより、合う合わないのほうを優先したい。
合う合わないといっても難しい。食中毒を何度も起こした経験からすると、「へん?」とは思うけど、食べたものがもったいない、「へん?」と感じても廻りのさわがしさにかき消された、体調が悪いと「へん?」さえも分からない。こんな状況で食中毒になりました。おそらく、食中毒ほどでなくても、食べ物との相性は存在するのだと思う。そうすると、感度がいかに重要であるか。
①感度をたかめる(体調を良くする)
②感度を活かす(頭で考えて食べない)
③活かした感度を消さない(騒がしく食べない)
今の時期は、野菜やくだものが採れる時期なので、それらを食べているのが、まあ間違いがないようである。それらでも、あんまり手が込んでいるのは、合わない。さっと調理したぐらいが、体に合っているようです。
でも、それらが合わないひともいるだろうし、手の込んだのが好きなひともいるに違いないから、結局、個人の相性ということになり、食養生法の善悪を断ずることはできない。
てなことを考えていたら、ぼくの食養生のバイブル『味覚極楽』が読みたくなりました。
体験的なことをいえば、食べ物の質より、量の加減が難しい。さらに、何が良いとか悪いとかより、合う合わないのほうを優先したい。
合う合わないといっても難しい。食中毒を何度も起こした経験からすると、「へん?」とは思うけど、食べたものがもったいない、「へん?」と感じても廻りのさわがしさにかき消された、体調が悪いと「へん?」さえも分からない。こんな状況で食中毒になりました。おそらく、食中毒ほどでなくても、食べ物との相性は存在するのだと思う。そうすると、感度がいかに重要であるか。
①感度をたかめる(体調を良くする)
②感度を活かす(頭で考えて食べない)
③活かした感度を消さない(騒がしく食べない)
今の時期は、野菜やくだものが採れる時期なので、それらを食べているのが、まあ間違いがないようである。それらでも、あんまり手が込んでいるのは、合わない。さっと調理したぐらいが、体に合っているようです。
でも、それらが合わないひともいるだろうし、手の込んだのが好きなひともいるに違いないから、結局、個人の相性ということになり、食養生法の善悪を断ずることはできない。
てなことを考えていたら、ぼくの食養生のバイブル『味覚極楽』が読みたくなりました。
2017年6月14日水曜日
司馬牛憂う
6月11日の内経医学会の講座で、『論語』顔淵篇の「司馬牛憂いて曰く、人皆な兄弟有り。我独り亡し。・・」という条文を読んだ。回答したのは子夏で、君子は慎めば失敗がなく、恭しくして礼があれば、四海すべての人が兄弟だから、兄弟がいないことを悩む必要がないよ、という。ここには孔子の回答は無いので、文面通りよむしかないのだが、おどろいたことに、下村湖人は『論語物語』には、孔子のせりふが用意されている。
「君が、兄弟たちの悪事に関わりのないことは、君自身の心に問うて疑う余地のないことじゃ。それだのに、なぜ君はそんなにくよくよするのじゃ。なぜ乞食のように人にばかり批判を求めるのじゃ。それは、君が君自身を愛しすぎるためではないかな。‥‥われわれには、もっとほかにすることがあるはずじゃ」(兄弟はいたらしい。なぜ、いないと言ったのかというと、しょうらい戦乱に巻き込まれて戦死するかもしれないから。というのは朱子の説。)
「人の思惑が気にかかるのは、まだどこか心が暗いところがあるからじゃ」
『論語』には無いことばを、下村湖人はすくい上げたのです。この読み込みの深さは、だれも及ばないところです。下村は、孔子は無私を強く主張している、と考えている。無私という意味では、老子とあい通ずるところがある。この読みの深さは、思想家以上ではないでしょうか。
いつか『内経』もこれくらい深耕してみたい。
「君が、兄弟たちの悪事に関わりのないことは、君自身の心に問うて疑う余地のないことじゃ。それだのに、なぜ君はそんなにくよくよするのじゃ。なぜ乞食のように人にばかり批判を求めるのじゃ。それは、君が君自身を愛しすぎるためではないかな。‥‥われわれには、もっとほかにすることがあるはずじゃ」(兄弟はいたらしい。なぜ、いないと言ったのかというと、しょうらい戦乱に巻き込まれて戦死するかもしれないから。というのは朱子の説。)
「人の思惑が気にかかるのは、まだどこか心が暗いところがあるからじゃ」
『論語』には無いことばを、下村湖人はすくい上げたのです。この読み込みの深さは、だれも及ばないところです。下村は、孔子は無私を強く主張している、と考えている。無私という意味では、老子とあい通ずるところがある。この読みの深さは、思想家以上ではないでしょうか。
いつか『内経』もこれくらい深耕してみたい。
2017年6月12日月曜日
とうみぎ
子どもの頃の、夏のおやつといえば、とうみぎ。ただしくは、トウキビ(唐黍)。とうもろこしです。ソウルフードかも知れません。この時期になり、茹でたのを、毎日一本くらいはたべたいですね。
子どもの頃、よく食べたといえば、ワタリガニ。これもおやつでした。目の前で採って、時間を措かずにゆでたものをおやつに食べてたのですから、これ以上のかには無いでしょう。なので、かににはあまり食指がうごきません。
先日、工事現場を通りかかったら、コールタールの匂いがしました。いい匂いでした。ソウルフードではなく、ソウルなスメルでしょうか。母方の実家は漁業をしていて、舟の腐食を防ぐために、船底にコールタールを塗ってました。その匂いが、懐かしいような、鼻のおくそこをくすぐるような、いい匂いなのです。ペンキも塗っていましたから、その匂いも、わりと好きです。それから、潮のにおい、海藻のにおいも、ソウルなスメルです。
父方の実家は農家で、養豚、養鶏、梨園と幅広く営んでいましたが、マイナスなニオイばかりなので、ソウルにしみ込んではいません。
ふりかえってみると、高級なもの、上質なものは、身近には無かったですねえ。住んでた家も、江戸時代だったし。職業も、伝統医学だし。あまり背伸びしてはいけないなあ、と思ったしだいです。
子どもの頃、よく食べたといえば、ワタリガニ。これもおやつでした。目の前で採って、時間を措かずにゆでたものをおやつに食べてたのですから、これ以上のかには無いでしょう。なので、かににはあまり食指がうごきません。
先日、工事現場を通りかかったら、コールタールの匂いがしました。いい匂いでした。ソウルフードではなく、ソウルなスメルでしょうか。母方の実家は漁業をしていて、舟の腐食を防ぐために、船底にコールタールを塗ってました。その匂いが、懐かしいような、鼻のおくそこをくすぐるような、いい匂いなのです。ペンキも塗っていましたから、その匂いも、わりと好きです。それから、潮のにおい、海藻のにおいも、ソウルなスメルです。
父方の実家は農家で、養豚、養鶏、梨園と幅広く営んでいましたが、マイナスなニオイばかりなので、ソウルにしみ込んではいません。
ふりかえってみると、高級なもの、上質なものは、身近には無かったですねえ。住んでた家も、江戸時代だったし。職業も、伝統医学だし。あまり背伸びしてはいけないなあ、と思ったしだいです。
2017年6月5日月曜日
スズキくん
昨日、I先生が言う。「やんなっちゃうよ。鍼灸の学生に授業すると、半分が寝ているんだ。医大生に授業すれば、活発に質問が出るのに。やんなっちゃうよ」
必死さとか、緊迫感とか、雲泥の差なんですね。どうしたものやら。
テニスを始めていた島田先生とテニスができたらいいなと思って、20年ほど前からテニスのスクールに通っています。スクールに行き始めてまもなく、島田先生が亡くなったので、夢は実現しませんでしたが。
週2回通っていて、金曜日のクラスは、僕だけがおじさんで、あとは20代~30代の若者だけである。その中でも、高校生の時の3年間と、大学卒業後の5~6年間、同席しているスズキくんとは、長いつきあいです。彼は強打の持ち主で、おじさんといえども遠慮してこない。ついていくのがやっとの状態。少しは手加減してくれればいいのにと思うけど、手加減してくれないのも嬉しい。
手加減しないのは、彼の誠実さの現れだと思う。その誠実さに応えるために、僕も誠実にならなければならない。では、どうしたら誠実さを現すことができるか。時間がかかりましたが、ベストな体調でレッスンに参加すること、上手くいかなくても一生懸命プレイすること、という結論に達しました。当たり前のことですが、体で分かるまで時間がかかりました。
僕もI先生と同じように、学生にがっかりすることがあります。結論としては「誠実さ」の教育が必要でしょうか。そこで想起されるのが、伊藤仁斎先生、後藤艮山先生です。もし道徳の授業が設定されるならば、両先生の教えを第一にしたいと思います。
ほんとに、基本のキからはじめなければならないのが、現在の鍼灸界の状況なのかも知れません。
必死さとか、緊迫感とか、雲泥の差なんですね。どうしたものやら。
テニスを始めていた島田先生とテニスができたらいいなと思って、20年ほど前からテニスのスクールに通っています。スクールに行き始めてまもなく、島田先生が亡くなったので、夢は実現しませんでしたが。
週2回通っていて、金曜日のクラスは、僕だけがおじさんで、あとは20代~30代の若者だけである。その中でも、高校生の時の3年間と、大学卒業後の5~6年間、同席しているスズキくんとは、長いつきあいです。彼は強打の持ち主で、おじさんといえども遠慮してこない。ついていくのがやっとの状態。少しは手加減してくれればいいのにと思うけど、手加減してくれないのも嬉しい。
手加減しないのは、彼の誠実さの現れだと思う。その誠実さに応えるために、僕も誠実にならなければならない。では、どうしたら誠実さを現すことができるか。時間がかかりましたが、ベストな体調でレッスンに参加すること、上手くいかなくても一生懸命プレイすること、という結論に達しました。当たり前のことですが、体で分かるまで時間がかかりました。
僕もI先生と同じように、学生にがっかりすることがあります。結論としては「誠実さ」の教育が必要でしょうか。そこで想起されるのが、伊藤仁斎先生、後藤艮山先生です。もし道徳の授業が設定されるならば、両先生の教えを第一にしたいと思います。
ほんとに、基本のキからはじめなければならないのが、現在の鍼灸界の状況なのかも知れません。
2017年6月1日木曜日
あるインド料理人の文章
あるインド料理人(日本人)の文章を引用します。われら鍼灸人も、これぐらいの覚悟がほしいものだ。他のジャンルの人は、このようにしてはい上がっているんだな、ととても感心しました。
「インド料理人を志す者にとって、現地を食べ歩くことは最善の修行法である」というのは日本のインド料理創生期を生きた大先輩の言葉。それに倣って僕も現地の味を何度も体験に行きました。旅というと楽しく聞こえますが、僕の場合は一食もムダにしないためのストイックな努力を重ねる地味な修行、戦いのようです。
カリーがおいしくなかったとか期待はずれだとか、そんなものは序の口。何より辛いのが、腹を壊したときの敗北感です。カリーで腹を壊すと、匂いすら嫌になります。不断あんなに食べてるのが信じられないくらい。インドって、空気がカリーの匂いなんです。カリー味の食べ物しかない。カリー天国が途端にカリー地獄にみえてきます。本来、それを望んで来たのにと思いながらも外にも出られず、ベットに仰向けになり、回るファンを虚ろな目で見上げながら圧倒的な敗北感に浸ることになります。何か胃に入れて元気にならないと・・・。
「インド料理人を志す者にとって、現地を食べ歩くことは最善の修行法である」というのは日本のインド料理創生期を生きた大先輩の言葉。それに倣って僕も現地の味を何度も体験に行きました。旅というと楽しく聞こえますが、僕の場合は一食もムダにしないためのストイックな努力を重ねる地味な修行、戦いのようです。
カリーがおいしくなかったとか期待はずれだとか、そんなものは序の口。何より辛いのが、腹を壊したときの敗北感です。カリーで腹を壊すと、匂いすら嫌になります。不断あんなに食べてるのが信じられないくらい。インドって、空気がカリーの匂いなんです。カリー味の食べ物しかない。カリー天国が途端にカリー地獄にみえてきます。本来、それを望んで来たのにと思いながらも外にも出られず、ベットに仰向けになり、回るファンを虚ろな目で見上げながら圧倒的な敗北感に浸ることになります。何か胃に入れて元気にならないと・・・。
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